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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

杉山城 埼玉県比企郡嵐山町杉山 2013.10.11 訪問 お知らせ

 
~戦国期城郭の傑作~ 築城時期:不明(戦国時代初頭か?)、築城者:不明(金子氏?) 
この城は、室町~戦国時代の築城と推定される典型的な山城である。総面積は7.6Haにも及び、急峻な丘陵を巧みに利用して十余の郭を理想的に配している。まさに自然の要小垣内呼ぶにふさわしい県内でも有数の城である。現存する遺構の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えに当時の高度な築城技術が偲ばれる。また、城の立地についても、北方で四津山城(よつやまじょう)、高見城、越畑城(おつばたじょう)に連絡し、南方の鎌倉街道を見下ろして、その遠方に小倉城(おぐらじょう)を臨むという絶好の条件を備えている。当時の社会情勢から判断して、松山城と鉢形城とを連絡する軍事上の重要拠点であったと考えられる。築城年代や城主名等に不明な点も多いが、一説には、松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水の居城と伝えられている。(埼玉県・嵐山町教育委員会が現地に設置の案内板より)<ページ中の説明文は、埼玉県立嵐山史跡の博物館にて入手の「比企城館跡郡 杉山城跡」及び博物館に展示の資料より抜粋・編集させていただいた。> 
 積善寺(しゃくぜんじ)の横を右に入って馬出郭へ  この杉山城跡は、すべて私有地であり地権者の理解と協力で公開されている  「出郭」…大手の前に配置された郭。
   
外郭(右側)と馬出(左側) の間 の出郭(大手)  土塁(堀切が中央に)
…左が馬出郭方向
 
   
 杉山城跡案内図…土塁と空堀が各郭の周囲に配されている 上の写真の土塁に沿って回り込んで、馬出郭へ進む
 馬出郭より空堀越し
に外郭を臨む
 
馬出郭・外郭の間の空堀 
 
外郭と馬出郭の間の堀…相当深い 外郭より市街方面を、外郭
・出郭の間の堀越に見る
  外郭の端から大手口、出郭方向を見る…
 
大手口から出郭横の土塁を見る 南三の郭  南二の郭方向へ行く
 
 南三の郭を振り返る 南二の郭…遠くに市街が  南二の郭
   
南二の郭東虎口…この虎口から一段下がると、馬出状の小さな平坦面(小口受けという)がある。そこから恐らく木橋がかけられ本郭東側の帯廓とつながっていたと考えられる 外廓から続く土塁は、帯状(帯郭とも言う)東側は深くて急な2段の斜面に作られている 帯郭と土塁
     
嵐山史跡の博物館に展示の俯瞰図等高線から斜面を判断できる? 食違い虎口…南三の郭南二の郭の間にある虎口は左右の土塁が平行にずれている(敵が直線に侵入できないように設計)
    
南二の郭西虎口…南二の郭から本廓へ直接進入できないように 
 
 南二の郭から井戸郭方向へ
 南二の郭から市街地方面を臨む 井戸郭から市街地方面を見る  井戸郭から「井戸跡」
を見る
 井戸跡……石で蓋がされているのは、恐らく廃城の際に敵方に使われないように「水の手を断つ」為だと思われる  本郭方面への途中の土塁   井戸郭より本郭
方向途中の堀切
本郭横の土塁と小さな堀  本郭の下から見上げる本郭の土塁
本郭(左側 きた二の郭、
右側東二の郭)の標識 
 本廓にある説明版、城跡の石碑 本廓
 本郭より東二の郭方向を見る  本郭を見下ろす… 本郭より南二の郭、
南三の郭方向を見る
 埼玉県立嵐山史跡の博物館に展示の航空写真  北二の郭、三の郭を経て、搦手口に出た!…大手口から搦手口まで南北に歩いたことになる
   
この山全体が杉山城跡 
 
   
アクセス:東武東上線「武蔵嵐山」駅下車、徒歩約40分…路線バスなし
※ 杉山城の写真集をスライドショーにまとめてみました。こちら
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