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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

白井城 群馬県渋川市白井 2015.4.25 訪問

 ~ 築城者 長尾景仲  築城年 永享2年(1430) 主な城主 白井長尾氏、本多氏  廃城年 1624年 遺構 土塁、堀、石垣 ~
  白井城は利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端に自然の要害を利用して築かれた城である。全体が三角形に近い構造で、城の中心である本丸は吾妻川沿いにあって西側は断崖に面しており、それ以外の方角は高さ3~4mの土塁に囲まれている。北側には枡形門があり、太田道灌が指導したとの伝承が残る石垣が現存する。本丸を出て深い堀を土橋で渡ると北へ二の丸・三の丸と続き、その間にも堀が残っている。三の丸の外側には北の守りとして北郭・金毘羅郭があり、本丸の南東にはささ郭・南郭・新郭が連なっている。さらに城域の北と東には、それぞれ北遠構・東遠構の堀があって総郭(城下)を囲む構造になっていた。なお城の護りの一部として、玄棟院(曹洞宗)・源空寺(浄土宗)をはじめとする大小の寺院が周囲に配置されていて両者の関係が注目される。いつ頃築かれたかは諸説あるが、15世紀中頃に関東管領山内上杉憲実野信任が厚かった長尾景仲(昌賢)によって築かれたと考えられる。景仲は月紅正文禅師を開山とする雙林寺(曹洞宗)や、「白井の聖堂」と呼ばれる学問所を開いたことでも知られている。その子孫も白井城やその周辺を巡る戦国の攻防の中にそれぞれの名を残したが、天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家に攻略されて開城し、戦国の城としての役割を終えた。その後は、徳川家康の関東入りに従い本多広孝・康重が城主(2万石、のち5万石)ちなり、この頃には現在の姿に整備されたと考えられる。康重の岡崎移封後は戸田康長・井伊直孝・西尾忠永・本多紀貞と続くが、寛永元年(1624)紀貞の病没とともに廃城となった。これ以降の経過は明らかではないが、少なくとも明治時代以降は農地化されていたと思われ、昭和40年代の土地改良事業においても大幅な地形の改変はなく、堀や土塁など城としての地形がよく残っている。なお、平成16年3月には本丸部分が子持村の史跡に指定され、保存と活用がはかられていくことになった。(子持村教育委員会(当時)が現地に設置の案内板「白井城址案内板」より)
JR渋川駅…ここから歩くと相当あるのでタクシーがおススメ!(北郭辺りまで約1,500円) 北郭に続く三の丸…すべて畑地になっているが、各郭の間の堀は残っている。  二の丸方向へ歩く、歩く…両側はご覧のように畑、畑
 本丸にあった案内板の周辺図…吾妻橋の近くの「鯉里」バス停辺りから、金毘羅郭~北郭側…本丸・笹郭へ進んだ。右側の写真も同じ場所にあったが、航空写真と復元図で全体のイメージが湧いてきますね! 
     
 
 三の丸と二の丸の間の空堀… 通路から見る北郭と三の丸の間の堀…
   
これも、北郭と三の丸の間の堀…
 遠くに二の丸の標示柱が見えてきた…右の写真の石柱のすぐ先が、二の丸と三の丸の間の空堀(上の写真) この先に、本丸虎口(枡形)が…
 本丸虎口を入って、白井城址との木柱がある場所から東側に延びる空堀を見る…右側の土塁の向こうが本丸部分… 虎口の石垣…
この木柱表示の右側が先ほど歩いてきた方向…つまり大体北側
 白井城址三日月堀の石柱標示が堀底に見える…木製の道標には二の丸・三の丸方向の案内が… 本丸虎口(枡形門)の石垣…野面積で風情がある
  
 上の写真の木製道標の拡大版…
 
 虎口手前の土塁…この上の通路を通り白井宿方面へ  本丸の周囲を囲む武者走り状の?土塁…1.5~2.0m程度の高さ
      
 
 本丸虎口横にあった、本丸の標示柱と白井城の歌碑… 本丸周囲の土塁の上を歩く…
本丸北側の西櫓台
  周囲の土塁の上から本丸を見渡す… 
 
本丸虎口のところから東~南方向へ(左回り)土塁上を歩いて、笹郭に向かう…
     
本丸から続く笹郭の突端にある櫓台的な場所…石積みが見えるがロープが張られ入れない 東側の南郭(畑になっており確認できない)との間の堀のように見える…  笹郭から、本丸を見下ろす…
   
 東側の堀を右に見ながら、再び、土塁上を歩いて最初の虎口の方向へ…  虎口の横の土塁上を歩いて、白井宿方向へ行く…
     
 林間の堀底道をひたすら歩く…よく整備されており歩きやすい。JR東日本の駅からハイキングのコースになっており、多くの人と行き交った。
     
 暫く歩くと、二の丸の端のところ(帯郭と標記あるところ)に出た…武者走り程度か?   白井宿方向へ行く…この写真の右側が本丸方向
 
 この堀底道を上がっていくと、最初の二の丸と三の丸の間の堀に行く。   引き続いて、神明宮・白井宿方向へ…
     
二の丸の端(東側)の堀を見ながら暫く歩く…
 
 藪の中の堀底道らしきところをひたすら、神明宮方向へ歩く…途中で進行不可能になってきた。
この辺(右端の写真)から藪状になってきて再度土塁上に上がる…
     
 土塁上に上がって堀底を見たが、こんな状態でとても歩けず… 
    
 甲子講の石柱…右に神明宮との木柱表示 少し歩くと、白井宿の八重桜通りに出た。白井城址の道標柱…
     
白井堰の標示石柱…  武者返しの町並みについての案内板… 白井宿入り口か…
     
アクセス:JR渋川駅から徒歩約40~50分。
タクシーでは約10数分、北郭辺りまでだったら約 1,500円(訪問時)
※「白井城ーYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください…。

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