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白河小峰城 福島県白河市郭内 2017.6.11 訪問知らせ


 〜 築城主:結城親朝(ちかとも) 築城年:興国・正平年間(1340〜69)  主な城主:結城氏、蒲生氏、丹羽氏、本多氏、松平氏、阿部氏 廃城年:戊辰戦争後廃城 主な遺構:土塁、郭、空堀、水堀・石垣 国指定史跡
小峰城跡は、南北朝の興国・正平年間(1340-69)頃に、結城親朝により築城されたのが始まりとされます。現在に残る石垣造りの城郭は、寛永4年(1627)に初代白河藩主となった丹羽長重が寛永6年(1629)より約4年の歳月をかけて改修したものです。丹羽氏以降、松平(榊原)・本多・松平(奥平)・松平(結城)・松平(久松)・阿部といった徳川譜代・親藩の7家11代の居城として、また奥州の関門としての役割を担いましたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いにより焼失落城しました。
明治以降、城郭はその多くが民間への払い下げとなりますが、本丸を中心とした範囲は陸軍省の所管となり、のち明治26年(1893)に白河町に払い下げられました。本丸・二之丸を中心に範囲は、城郭遺構を活かした都市公園としての整備が進められ、平成3年(1991)には三重櫓、平成6年(1994)には前御門」が発掘調査の成果と絵図の記載をもとに木造で復元されています。そして、小峰城は奥州の関門としての歴史的重要性や今なお本丸・二之丸を中心とした範囲に、石垣や堀といった遺構が良好な状態で残されていることが高く評価され平成22年(2010)に国の史跡に指定されました。(本丸入り口城址石碑の近くにあった案内板、「国指定史跡「小峰城跡」より)
 JR東北本線「白河」駅…この裏が小峰城跡。大正10年の建築で全国でも少ない大正時代の木造駅舎。 左の地下通路の壁には各種説明・案内があったがそのうちの「本丸周辺復元想定図」現在、石垣・堀(水堀・空堀)が現存し、木造復元天守が見られる…
     
白河駅南口からこの通路(トンネル)を通って北側の小峰城跡へ歩く…
 
 地下通路から、右の写真のところ(駅の裏)に来た。復元築地塀が早速雰囲気を出している…この右手に城跡が(下の写真が遠景で見える)
     
入口になっていて、二の丸を経て本丸方向へ行く… 
 
 本丸・清水門付近にて「石垣修理」の告知と「城山公園利用案内」の看板が…平成30年1月末まで工事が続く。真ん中の写真で分かるように、まだまだ立ち入り禁止箇所が残る。右下に立ち入り禁止箇所等の位置図を抜粋・引用した。右端には小峰城址の石碑(背景の白いパネルが邪魔ですね) 
 芝生広場になっている旧二之丸ではこんな風景が…演武?  上の真ん中の写真より…二之丸→本丸→三重櫓から外の水堀に沿って、搦手門方向へ歩き、再び二之丸経由白河駅へ 
     
 城跡のあちこちで見られる松。少し変わった形状だ…「タギョウショウ」(多行松)というらしい。公園でよく見ると解説があった…
 
 本丸南面石垣…半同心円状の「落とし積み」と言われて修復が難しいとされていた箇所。入場者を威圧する鷹の目に例えられる。(東日本大震災の際の石垣の崩落よりの修理が今もなおあちこちで進められている)。  左の写真の「本丸南面石垣」の少し左側の部分…この隣が下の写真の桜門への虎口
     
 ここが虎口で奥の桜門へ続く…本丸への最短ルートであった
 
 上に上がり、先ほど入場した清水門と両側の堀を見下ろす…  右上の写真の虎口の階段のところから右側の石垣を見る…きれいな切り込みハギと算木積み。 
     
 演武が行われていた城山公園(二之丸広場)を見下ろす…
 
 右下の写真のところから本丸広場に出る。そこには本丸御殿跡があった…中央に復元された三重櫓とその右に前御門が見える  上の写真の虎口階段を上がり「桜門」跡へ来た…下の写真の狭い通路を通り本丸へ
     
 本丸への「袖石垣」の細い通路…
 
 「桜之門跡」の説明版…櫓門形式で門付近には桜の木が植えられていた 桜門から本丸御殿跡に来た…右に見える門が前御門
     
 最初に入って北「清水門」を本丸広場より見下ろす…門の中央から左側は工事中で立ち入り禁止(白いフェンスで囲われている)
 
 前御門…表門とも言われ、裏門にあたる桜之門とともに本丸の防御を担っていた重要な門であった。石垣の上に門櫓をわたした「櫓門形式」平成6年に、木造で忠実に復元された。 本丸北面の石垣補修中…ビニールシートで覆われている…
     
本丸御殿跡の表示石碑…
 
 左上の前御門を出て右(南)側を見たのが左の写真。この先は清水門に通じているが工事中で通れない…右の写真は、門を出て左側を見たところ。復元された三重櫓をこんな角度で見てみた。
   
これも右上の写真と同じ場所で撮影…
 三重櫓内部…やはり鉄筋コンクリート造りよりは全然雰囲気が違う、木造はいいですね!忠実に復元していることから、階段はかなり急であり注意を要する。  「おとめ桜」…本丸の石垣を積む際、人柱とされた霊を慰めるために桜の木を植えたといわれている。戊辰の戦火にて消失したが、春になると新たに芽吹いた桜が場内を彩る
 
 「おとめ桜」の説明の石碑…
 櫓内部では、要所要所に説明版が置かれている…これは「鯱」の説明 三重櫓から出て北側の端から下の石垣補修工事現場を見下ろす… 
     
戊辰戦争時の弾傷…ここでの戦闘の傷跡ではなく、当時の激戦地であった松波稲荷山の杉の大木を復元用材として利用した際、弾傷があることを承知の上でそのまま加工・使用したもの
 
三重櫓の前の区画から再下の本丸御殿跡に降りて三重櫓を見上げる… 上の写真の一角に、外した石を並べている場所があった…
  
 石垣補修現場を別のアングルで撮影…右手見える水堀は蛇頭掘りと呼ばれているところだろう
 
桜之門から上がってきたところで、南側(清水門方向)を見る…ここに多聞櫓があった場所 改めて、本丸御殿跡から三重櫓をアップで撮影!
     
 多聞櫓跡の標示柱…
 
 清水門のところの橋から右(西)側の堀を見る…  清水門を出て右(西)方向へ行く途中改めて石垣を見る…ここでも「半同心円状の石垣」が見られる(その部分を拡大したものが右の写真)
     
 ここでも「半同心円」の石垣が… 石垣修復を「崩れる前・後」の写真を掲げ案内・説明している… 左下の図面の現在地のところの(復元)空堀跡…きれいに整備されており子供たちが遊んでいた 
     
 現在地のところにあった案内板より「小峰城の門・櫓跡」を抜粋・引用した… 白河集古苑の近くの「大手門跡の礎石」についての案内板…
     
 その礎石跡…右端に上の写真の説明板が見える
 
白河集古苑…白河結城家と徳川譜代大名の阿部家の両家に伝えられた古文書や美術工芸品が保存・展示されている  会津門跡…小峰城の三の丸西側の会津町(武家屋敷街)に通じる門で、高さ約7m。門の周囲は石垣のほかは主に土塁となっていたとのこと。 
     
城山公園の西側入り口の門…これは現代風?  城の西側から北面には「蛇頭掘り」と呼ばれる巨大な水堀が巡っている。この水堀越しに2段に築かれた石垣が見える…石垣上には、当時櫓が建てられ土塀により結ばれていた。 
     
蛇頭掘り越しに本丸西面の石垣を見る…工事はまだまだ時間かかりそうだ
 
 左上の写真のところから少し左(北)方向へ歩いて本丸・三重櫓方向を見る…フレコンバッグ部分を拡大表示 
   
蛇頭掘りの北側から来た方向を振り返りみる…
 
 アクセス:JR東北本線「白河」駅から徒歩5分…
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