よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 篠原城(別名 金子城) 神奈川県横浜市港北区   2017.1.16 訪問
 〜 築城者 金子出雲 築城年 戦国時代 主な城主 金子氏? 廃城年 不明 遺構 郭、土塁。空堀…発掘調査の後に保存或は宅地化。フェンスで仕切られ立ち入り禁止になっている 現状 篠原城址緑地 〜
   〜篠原城と緑を守る会が作成のパンフ、「篠原城」より、篠原城の歴史及び篠原城の保存の部分を下記引用〜

※ 篠原城の歴史 江戸時代後期に幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、鎌倉時代初めの金子十郎家忠、または戦国時代の金子出雲が築いたとされ、地元では金子城と呼ばれています。地元の武士と農民が、戦の際の防御・避難目的で築いた平山城です。時代が変わり、廃城となた後は、江戸時代は里山として活用され、戦後は畑に。現在では周囲は住居となりましたが、山頂部は雑木林(緑地)として残り、野鳥などさまざまな生物のすみかとなっています。小机城(現在の小机城市民の森)とも関連していたと考えられ、横浜の歴史を知る重要な文化財です。

※ 篠原城跡の保存 篠原城跡は、2000年代に研究者の調査で土台部分が奇跡的に残っていることが報告され、広く知られるようになりました。その後、城跡の一角で住宅開発に伴う発掘調査が行われ、戦国時代の様子を残す貴重な文化財であることが改めてわかりました。そうした中で、地域住民や「篠原城と緑を守る会」が、城跡とみどりの残る丘(城山)の保存を横浜市に働きかけ、丘の一部が2011年に篠原城址緑地として指定されました。
 横浜線(新幹線)新横浜駅から北東方向へ徒歩5分で、目印となる正覚院の赤錆た看板が見えてくる… 左の写真の反対側にあった石柱群… 正覚院の入口…
        
入り口横にあった標示…「お寺の私道です。お城探しの方々の境内での駐輪駐車散策お断り」とのこと。 正覚院入口を過ぎて少し歩くと、城跡方向への細い道が…ここを上がる 来た方向を振り返り見る…新横浜プリンスホテルが見える 
     
 右手が城跡…フェンスに沿って進むと、下の写真の掲示板に  左下の写真の場所にあった案内板の「篠原城址緑地」の説明・地図…2011年小発掘調査後、宅地化や保存のため遺構消失及び保存のため立ち入り禁止となっている
      
 フェンスの端の部分に案内板(右の写真及び右下の写真)が…
 
上(左)の場所の手前の斜面(崖)…土塁・空堀はこの先だが立入禁止 掲示板の先に駐車場となっている場所…
        
 駐車場の北西角の部分に小さな社(杉山神社跡?)…その後ろには急峻な崖が
 
 ぐるりと回ると旧本丸方向への通路が… 北東側の横堀(空堀)か、或いは本丸への虎口のところ?両側には土塁が続いているようだ…土地区画整理事業用地とあり、発掘調査のための立入禁止ではないようだ  
      
 フェンスに沿ってさらに進むと、右の写真の旧空堀(横堀)らしき場所に…残念ながら立入禁止
  
 右上の写真のところを更にアップにして撮影…左側の土塁部分はしっかりしており、高さも2-3mはあろう。右下の写真は、左の写真の左側部分を撮ったもの
             
 更にフェンスに沿って進む…
 
 更にフェンスに沿って北東方向へ…「関係者以外立ち入り禁止」  フェンス越しに新横浜プリンスホテル及び本丸の土塁方向を見る…
     
 右の写真のところから西側の帯郭(?)の方へ降りる…帯郭なのか二の郭なのか不詳。中心部に近づけないのでこれ以上は無理、断念!
 
アクセス:JR横浜線・新幹線 新横浜駅から北東方向へ徒歩約5分で、正覚院に。その後ろ、東隣が城跡…
 

ギャラリー