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芝原城 千葉県我孫子市中峠  2018.3.17 訪問お知らせ

 ~ 築城主:不明(芝原氏?) 築城年:不明(永正年間? 1504-21) 主な城主:芝原氏、河村氏 廃城年:1590年頃 主な遺構:空堀、土塁 別名 中峠城 柴原城~

芝原城(中峠城)跡は我孫子市内の中世城郭としてはその形をよく保っています。城の施設は西に向かい突出する三角形状の台地の端に構築した南北方向の3本の空堀が中心です。この空堀で台地先端部のI郭からIII郭まで3郭が区画されています。先端部のI郭がいわゆる本丸と考えられています。昭和19年に現在住宅地となっている部分のII郭の南側の一部とIII郭の南側を含む部分の発掘調査が行われました。芝原城の城主は史料の上で明記されたものは残っていませんが、言い伝えや「本土寺過去帳」の記述などから「河村氏」が城主であったことは確かなようです。河村氏は小田原の後北条氏の家臣で、もと相模の在地土豪で、後北条氏の勢力伸長に従いこの地に移ってきたようです。後北条氏滅亡のとき芝原城を守っていた城代林伊賀守順道が自刃したという言い伝えが残っています。
(我孫子市・我孫子市教育委員会が現地城跡に設置の案内板「芝原城跡」より。
下の概略図も案内板より抜粋、拝借しました。

 
 JR成田線「湖北」駅北口…ここから、真すぐ北方向へ徒歩約25-30分。  途中の道路で見つけた、追分道標の石柱…ここから北方向へ古戸根通り(右の写真)を歩く。 
     
 途中で、地元の人に城跡への道を聞いた際に、親切に教えてくれて、併せて、落城時自刃した場所があるとして、下の写真の場所に案内してくれた。…上の説明文にある、城代林伊賀野守順道が自刃した場所か?! 右下の写真が石碑だが残念ながら判読困難であった。 
   
 住宅地と畑地に接しているところから、郭の端の崖上に出ることが出来るかと思ったが…下の写真に続く。
 
 縄張図の、郭III(図面の右側部分)から城跡に入っていったが、藪が凄く、何とかこの崖の向こう側の公園になっているところに降りようと試みるも、やはり無理なので住宅地の端を南側に降りて行った。左下の写真部分は、ひょっとしたら図面にある空堀の跡か(不詳)…
    
 一旦、住宅地に続く果樹畑的なところに出た…藪には入らず、本来のルートを探す。
右上の写真のところに出た。「古利根の森」との標示が…この辺は、自然観察の森として整備されていて、歩きやすくて、そこかしこに郭の痕跡や空堀・土塁の跡らしきところがあった…
   
「不法投棄が多いため一時車両の進入を禁止します」との標示が…歩行者は勿論入場OKのようだ。
 
古利根公園 自然観察の森との標示柱があった。本来はこちらから入城するのでしょう。こちらは、公園になっており、藪もなければ通路も歩きやすい…
現在地のところから、古利根沼方向・展望広場方向へ行く…
古利根沼を見下ろす「展望広場」(右下の写真も)に来た。眼下は断崖になっており、確かに防御上絶好の場所かも…  郭IIの住宅街に接している部分に残る土塁の残存?
 
展望広場だが、来訪者用のベンチが整備されている…
 
郭IIの現在住宅になっている場所をみる。ここに見えるのは土塁の残存?  左下の写真の部分から、再び北側の古利根沼に面した展望所に近いところに戻る…ここに見えるのも土塁の残存であろう 
     
 郭Iと郭IIの間の、空堀部分か?
 
 縄張図の、郭IIの空堀が描かれているところだろう…幅はかなり広いが、深さ的にはかなり風化していると思われる。 左下の部分の続きのところ…ここに見えるのも土塁の残存でしょうね!
     
左の写真の空堀部分を、別の角度から見る…
 
 上の写真に続く。そこからやや右の部分(北側の沼に面しているところ)の空堀・土塁を見る… 
     
 北側の土塁に上がる通路があった…上がってみると古利根沼が見下ろせた。
 
 右の2枚の写真の場所から、南方向に進み、最初に見た「自然観察の森」入り口部分から帰途に就く…本来こちらから入城すべきであったか!  左上の写真のところから上がった土塁のようなところ…
     
上の写真に続く部分だが、藪状態で進めず…元の公園内部に降りて、最初に見た入口に向かった。
 
 アクセス:JR成田線「湖北」駅下車徒歩約30分
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