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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

佐津間城 千葉県鎌ケ谷市中佐津間  2018.1.7 訪問お知らせ

 ~ 築城主:不明 築城年:不明(戦国時代、16世紀中~後半頃?)  主な城主:相馬氏、高城氏? 廃城年:不明 主な遺構:郭、空堀、土塁 

佐津間城跡は東側に大津川をのぞむ標高25mの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9mの比高がある。土塁と空堀をめぐらせて、周囲を台地から遮断して曲輪を形成する単郭構造の城跡である。守備を主体としたようで、四方に張り出した構造の櫓台と、その櫓台を利用した横矢構造が確認され、曲輪の入口となる虎口の跡も残っている。また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定される。城の大きさは堀の外側で東西50m、南北76m、土塁の内側(主郭)は東西21m
南北35mある。周囲には屋敷裏、北根小屋、南木戸などの城に関係する小字名も残っている。築城された時期は戦国時代(16世紀中~後半頃)と推定されている。戦国時代に造られた城跡は東葛地方でも数多く確認されているが、市内で明らかに城跡として確認されているのは佐津間城だけである。
(鎌ケ谷市教育員会が現地入り口部分に設置の案内板より)

 東武野田線「六実」(むつみ)駅…ここから約15分ほど歩きます。  六実駅から踏切を渡り、東方向へ歩き、この佐津間交差点に来たら、左折して先ずは「大宮神社」を目指す…少し歩くと、道路の右側に神社が見えてくる(右の写真)。
     
 道路の下に降りて、右の写真ところから、鳥居を超えて参道を上がる…この辺も城域だったらしいが、はっきりわかる遺構はなさそう。この参道の両側に土塁の残存?  西明寺の紹介の案内板…ここで楼門、三重塔などの重文クラスの文化財が紹介されている。
   
 大宮神社から、集落の中の細い道をしばらく歩いて、入城口を探した…
 
 下の縄張図は、あとで見つけた案内板にあったものを拝借した…住宅街をさまよって入口を探して、それらしきところを強引に分け入ったら、下の写真の、藪の中の空堀を発見した。下の縄張図で見ると、左下の現在地とは、ちょうど反対側(右側)の土塁と標示あるところ辺りから侵入してしまった。(民家の裏手にあたる場所から)
 まさに住宅街のすぐ裏手にこんもりした山・藪が見えてきた。先ず上から覗き込んだ写真が右の写真。主郭の周囲を廻る空堀は、深さ4-5m、幅5-6m程だが、倒れた竹や木が歩行を妨げていて、歩きにくい…左の写真は堀底から土塁を見上げたもの(土塁の向こう側には民家がある)。
    
 堀底を、右の写真とは反対(南西)方向を見る…
左上の写真の場所の続きの堀底…  左の写真のところから、入ってきた方向を見る…民家が見えますね
     
 堀底だが、少し歩きやすくなってきた…この先で土塁上に上がる。
 
この先は藪状態で、倒木類も多くなってきた…主郭内部を見るために土塁上に上がることにした。  この辺の堀底は、比較的平坦で歩きやすい…左の写真に続いて、歩きにくくなってくる。
この辺から土塁上に上がった…
主郭の周囲に廻る土塁…土塁上を東方向に歩く…すると少し削平した跡と思われる場所に出た(東南の角の櫓台跡か?)
 
上の写真の場所から、南方へ歩き下を見下ろした…
 
 主郭に降りて見渡す(右の写真)。その一角に小さな社があった(左の写真)…全体に周囲の土塁が確認できる。 
     
主郭内部から、西側を見る…入ってきたところで、近隣の民家が見えますね
 
 右の写真は、虎口と思われる場所を主郭内部から見たところ。主郭から外に出ると、左の写真の場所になる… 
     
 左の写真のところから降りてくると、ここはまさに民家の裏庭…たまたま出くわした住人に説明し、了解を得た。
 
右上の写真のところから、一般道路に出て、振り返って見たのが右の写真(民家のすぐ裏に城跡があることになる)…そこから少し駅の方向に戻る感じで探した結果、左下の写真の説明板のところに出た。ネット情報では、大宮神社から、先ずこちらへきて、この辺の民家の裏から入山するとのことだった。私の場合、逆ルートで降りてきたみたいだった。 
     
 案内板のすぐ上に続く階段があった(本来こちらから降りてくるべきであったか)…
 
 アクセス:東武野田線「六実」(むつみ)駅下車徒歩約15分
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