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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  佐伯城 大分県佐伯市西谷町 2018.12.20 訪問
 〜 築城者 毛利高政 築城年 慶長11年(1606年)  主な城主 毛利氏 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 石垣、三の丸御殿櫓門 別名 鶴谷城 続日本百名城 〜
城山山頂の城址は海抜140メートル。遠く近く南豊の山々をめぐらし、番匠川は曲がりくねって佐伯湾にそそぎ、はるかに豊後水道をへだてて四国の島山が霞んで見える。眼下には、県南の政治・経済・産業・文教の中心都市。人口5万の佐伯市街がひろがり、展佳、歩いて15分で登れる景勝の地である。慶長6年(1601)4月、日田より入封の初代毛利高政はこの地を相して佐伯荘2万石の本拠地と定め、まず山頂に築城の工を起こし城下町の建設にかかった。三層の天守閣を持つ本丸を中心に二の丸・西の丸を西南にのばし北の丸を東北に広げ、あたかも舞鶴の翼を張った姿に自ずと鶴屋城と名付けられ、また鶴城と呼ばれた城は4年後の慶長11年に完成したが、程なく失火により本丸・二の丸を失い、その復興をあえて行わず寛永14年(1637)山麓に三の丸を開き、大いに殿館を営んで以来二百数十年、佐伯藩政は専らここで執られた。それは山城の不便さを避けてのことである。そして、明治初年の版籍奉還、廃藩置県によって廃城となった。今は、城郭の遺構としては僅かに三の丸櫓門を残すだけであるが、なお城跡を示す石垣は殆ど完全に残り、城址公園として市民に親しまれている。
(佐伯市教育委員会が登城口近くに設置の案内板「史跡 豊後佐伯城址」より抜粋)
 三の丸櫓門近くにあった案内板より抜粋…城山登山口→登城の道で山頂へ  左の図面の一番下、大手門跡のところから入城…
 酢面の櫓門跡の場所にあった「三の丸の」の標示柱…
 県指定有形文化財 「佐伯城三の丸櫓門」の説明板  この三の丸櫓門は、佐伯城の唯一現存する遺構…三代藩主毛利高尚の時に藩主の館を山頂から三の丸に移した寛永(1637年)に藩庁の正門として創建された。
 櫓門を入り、内側を撮影した…見事な石垣。
「明治4年ごろの佐伯藩時代屋敷図による」と記された鳥瞰図…城山登山口付近にあった案内板より… 三の丸櫓門を内側から撮影…
     
佐伯市観光協会が登城口に設置の、「鶴屋城鳥瞰図」…
 
城山周辺案内図…これにて登城ルート(登城の道と独歩の道)がよくわかる。  登城の道の案内標識…少し暗くなってきているが整備されており歩きやすい。
 こんな感じの道が山頂に続く…
 山頂からの眺望…佐伯市街越しに海が見える?   少し暗くなってきた…16:30頃の撮
 山頂に到着…結構石垣が残る
 
 井戸跡?いや旧陸軍の高射砲陣地跡との説も…   二の丸虎口のようだ? 
     
二の丸内部の石畳が残る場所?…
 
 二の丸の石垣… 二の丸跡の標示柱…
     
二の丸下石垣?高石垣になっている…
 
 本丸への虎口か… 本丸の石垣? 左端の写真の階段を上がり、振返り見下した…
     
 何だろう?稲荷社か… 本丸の入口に当たる階段…
      
 上の写真のところから本丸へ続く…
 
 本丸跡の標示柱…背後の石垣は趣がありますね  本丸下の虎口か…ここには櫓門があったと思われる
     
 本丸下の郭の高石垣…
 
 帰りは、「独歩の道」経由下山した。こちらは緩やかな坂道で、楽ではあった…  「独歩の道」の標示柱から、登山方向を見る…  三の丸、登山口にあった道標…
     
           
アクセスJR日豊本線「佐伯」駅下車、バス10分「大手前」下車徒歩10分
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