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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  佐枝館 埼玉県さいたま市岩槻区日出町 2015.3.3 訪問
 〜 築城者 佐枝秀成 築城年 戦国時代(16世紀中頃?) 廃城年 不明 遺構 土塁 現況 龍門寺 〜
佐枝氏の居館跡で、岩槻城主太田氏に仕えた佐枝若狭守秀成の居館として使用された。現在土塁が残る龍門寺は佐枝氏が創建したと言われており、佐枝氏と岩槻城主大岡氏の菩提寺でもある。
龍門寺は天文19年(1550年)、佐枝若狭守秀成公によって創立された。秀成公は、戦国時代、関東地方に一大勢力を誇っていた小田原後北条氏の家老格の重臣であり、岩槻・柏壁領の領主であった。時は乱世であり、秀成公は心の平安を得るため得土し、玉峰道金上座と称し、自己の城館内に龍門寺を創立したのである。そして天正4年には北条氏と深い関係のある神奈川県天獄院より、格斐寅越老師を初代住職すなわち開山として迎えいれている。佐枝秀成公は若狭守の位を嫡男の植行公に譲り、天正9年に没している。若狭守植行公は古文書によれば岩槻・柏壁漁の領主として北条氏の関東領国体制を文字通り「一所懸命」ささえてきた。しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東侵略により平和が崩れていった。岩槻城は豊臣・徳川2万の連合大軍に囲まれ、それを僅か二千足らずの兵力で迎えた。そのさい龍門寺には現在残っている土塁が築かれ、激戦が繰り広げられた。(龍門寺内の掲示、「玉峰山龍門寺」より抜粋)
東武野田線 岩槻駅…ここから徒歩約15分で龍門寺へ 龍門寺入口…  龍門寺への標識…
龍門寺参道から山門へ。山門は、さいたま市指定文化財で、建立年代1600年代後期。…修復途上で寛政10年(1798年)の修復の墨書きが発見された(一番右の写真にその説明と墨書きの写真が…)
     
 境内の掲示で、「境内図」があった。ここに「佐枝若狭守館蹟土塁」が表示されている。   岩槻城主の墓への道標
    
 「山縣大弐先生ゆかりの地」の石柱…山縣大弐は岩槻藩士時代岩槻藩主大岡忠光公からの情報をもとに維新の書「柳子新論」を宝暦9年(1759年)完成させた。
 
 大岡忠光公の墓所…岩槻市の指定史跡。右の写真は市指定有形文化財の「 大岡忠光公行状記」。忠光公は9代将軍徳川家重の寵臣として若年寄・側用人等の要職を務めた。宝暦6年岩槻城主に封ぜられ藩領2万石、同10年没するまで5年間、領下の支配に当たった。(案内板より) 
     
 龍門寺本堂… 
     
 開基霊屋…
 
佐枝若狭守館 南側土塁… 
     
 土塁の角部…
 
  墓地に続く通路に残る土塁… 本堂…本尊は釈迦如来を安置。時の城主大岡出雲守が寄進したと伝えられる備前の国福岡一文字派の刀工助真の作品である刀一振り(国指定重要文化財・工芸品)が所蔵されている。(龍門寺の説明板より)   「佐枝若狭守当山開基之碑 若狭守館跡」…佐枝若狭守の墓碑の写し
アクセス東武野田線「岩槻」駅下車、徒歩約15分
 ※「佐枝館ーさいたま市 龍門寺が館跡 土塁が残る」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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