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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

奥沢城 東京都世田谷区奥沢 1st 2014.3.4、2nd 2015.4.15 訪問お知らせ


 ~ 築城主吉良頼康 築城年:16世紀半ばころ? 主な城主:大平氏 廃城年:1590年 遺構:土塁 指定文化財:なし ~
天文‐永禄年間頃、吉良頼康により築かれ、家臣の大平氏が守った。天正18年(1590年)、小田原征伐の後廃城となった。延宝6年(1678年)、珂碩により九品仏浄真寺が開かれた。…寛文5年(1675年)にこの地の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年に九品仏浄真寺を開山した。九品仏とは、広い境内の本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれ印相の異なる阿弥陀如来像が安置されている。この9体はそれぞれ、上品上生(じょうぽんじょうしょう)、上品下生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生を表し、これを合わせて九品という。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれている。(ウィキペディアより)
 九品山浄真寺は、室町時代に栄えた世田谷城主吉良氏に仕えた勇将大平出羽守の居館奥沢城跡に建立されたと伝えられている。現在、みられる本堂、三仏堂などを囲む方形の土塁は、台形状の形がよく保存されており、中世土豪の砦の規模等を探る上で貴重な史跡である。土塁は、一辺が約150mで四隅がやや丸く、内側からの高さは」平均1.7m、外側からは 2.7mあり、四隅は直線部より約1m高くなっている。(世田谷区教育委員会が現地に設置の案内板「世田谷区指定史跡 奥沢城跡(土塁)」より)
東急大井町線九品仏(くほんぶつ)駅  九品仏駅より浄真寺までの通り(商店街)の標示 浄真寺参道入り口
 浄真寺総門…門の両側が少し高くなっており、当時の城跡(方形館)の土塁の部分であろう 「閻魔堂」  開山堂
  三仏堂…3体の阿弥陀如来  阿育王塔(あしょかおうとう)本来はインドの釈尊だが、
これは日本様式で天保年間のもの…右にその説明板を拡大!
  
     
境内周囲の土塁の端にひっそりと「奥沢城跡」の碑…すぐ後ろ(左)が隅櫓台跡か? 三仏堂方面から南側の土塁を見る…
   
 城跡碑の右の鐘楼を見る
…後ろに土塁が見える
 
南側の土塁上…今や民家がすぐそばに  南側の土塁上から、東方向(隅櫓跡)を見る… 
     
 土塁上で、東側を見る…
 
東南角の隅櫓跡と思われる部分…  南側を見下ろす…民家の前の道路部分はかつて空堀であったか?  南西の角(右)に近づいた部分…この石は城跡とは直接関係なさそう
     
 西側の土塁上から、西方簿民家を見下ろす…  西側の土塁上から南西角の櫓台跡らしき方向を見る… 西側の住宅街を見る…この道路も旧空堀跡か?
     
 寺域の北側の端の土塁に、冒頭紹介した「奥沢城跡(土塁)」の案内板があった。最初に訪問した時には気づかなかった。こんなところにあったのだ!…後ろに見えるのはカラストラップ  西側土塁上を歩いて、北西角の方へ来た…隅櫓がここにもあったと思われる。
     
ここは墓地の北側のブロック塀のところ…急崖状らしい。墓地は当時湿地帯で、水田耕作も行っていた?
 
     
 上の写真の説明板…  左の案内板のすぐ右手…左側は民家のようだ(お寺の関係者?)  左の部分から土塁上に上がった…樹木の剪定中?
     
 土塁上を歩く、西方に…  再び、三仏堂の前に出てきて、南側の土塁を見る… 
     
 北側の土塁から内側に降りる…土塁上にカラストラップが見えますね!
 
交通アクセス:東急大井町線「九品仏」駅から徒歩5分
 
 ※「奥沢城ー世田谷区 ~中世方形館~」をYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。 

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