よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 小川城 群馬県利根郡みなかみ町月夜野   2016.6.3 訪問
 〜 築城者 沼田景久 築城年 明応元年(1492) 主な城主 沼田氏、小川氏、北条氏 廃城年 明暦3年(1657) 遺構 曲輪、土塁、空堀 現状 山林 史跡指定 みなかみ町指定史跡 〜
  足利時代この地は小川郷として呉胡桃郷と共に村落が開け奥利根ひいては裏日本を扼す戦略上の拠点として重要なところであった。北上州の雄沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして此処に築城したのは明応元年(1492)で箕輪城に先立つこと34年、京に在っては足利幕府の勢力も衰え各地に土一揆等の蜂起を見、世情は飢えに苦しんでいた。此の時、沼田景久はここに二男の次郎景秋を700貫匁(約3,500石)位といわれている知行を与え住まわせ、北毛経営を固めていたが、其の後、文亀2年(1502)正月26日二代城主小川三郎景祐はもとより素行優れぬ城主なるため度々の狼藉に城を追放され其の後赦免となる。又、大峯山岳林寺の開基等を行い藩政の色あるやに見えたが。再びの乱行や沼田本城への討ち入り等狼藉の果てに落命した。景祐敗死後は、弟秀康が三代城主となり城を護る。小川秀泰は勇将にして岡林斉と名乗り信望を集め沼田七騎の一人として其の名を馳せた。其の後、大永2年(1522)英泰死去ー其の子彦四郎景奥のの代となり小田原の北条氏の勢力も次第に北関東の奥まった利根の地にもも其の手を伸ばしてきた。度重なる小競合いの中で、彦四郎景奥の長子景季は若くして兵火のため焼死し其の時は永正17年(1520)9月5日の真夜中のことであった。更に、大永4年(1524)の戦闘には城は焼かれ大将景奥も煮えたぎる酢がめの中に落ちて戦死し、家を継ぐべき子息なく其の門葉の北能登の守南将監等城の修復をなす。其の頃、上方より北面の武士(京都御所警備)浪人して此の地に来る。即ち赤松則村の裔にして赤松捨五郎祐正と言う。客分として城内にとどまるうち次第に軍議にも加わり其の才を認められ後に景季の後家と女合わせ上杉謙信の裁可を得て名跡となり小川可遊斉と名乗る。
 天文16年(1547)3月15日沼田勢との菩提木に於いての合戦に沼田勢は敗退逃走した。天正8年(1580)3月小川可遊斉の戦略にかかり大敗北をなし逃走し可游斉の名声を残す大戦果をあげた。この報告を聞いた北条氏邦は大いに怒り同年10月数倍の兵力を以て小川城を攻む。小川可遊斉以下将兵は激戦苦闘のすえ城は焼かれ多数の戦死者を出し、為に城を捨て兼ねて用意の見城の柵にのがれ残りの将兵も続いて柵に入る。可遊斉は此の柵に在って指揮し大木大石等を投落し敵を悩ますも七百米もの高山なれば水や糧秣等の補給用難にして、須磨野口より越後路へ敗走した。小川城には城代として小川氏門葉の一人北能登守が居り真田昌幸の配下として天正20年(1592)頃迄在城した。其の後何年か城代不明の時期を過ぎ沼田真田氏の五代城主となった幼名兵吉は寛永15年(1638)より18年間真田伊賀守信澄となり五代沼田城主を継ぐまで三の丸の陣屋に居住した。其の後は廃城となり帰り見られる事無なく永い年月を草木の中に埋もれていた。(現地本丸跡に設置の案内板「小川城由来」より)
最寄り駅は上越新幹線「上毛高原」駅……大河ドラマ「真田丸」の影響か、駅前には「名胡桃城」の幟、幟…  上毛高原駅にあった地図…駅構内にあった観光案内所にて各種資料を入手できる。また、窓口の担当者も親切に案内してくれるので有り難かった!
     
 小川城址へは「上毛高原」駅から徒歩5分、国道291号線に沿っている(国道291で分断されている)この先右折してすぐ…
 
国道291号線を南に少し歩くと、左側に「小川城址」碑が見えて来て、その東側に城址が見える… 「古城橋」…古城沢に架かる橋。ここから手前右側台地の先端に位置する。
     
 左の写真のところから、東側に入って、空堀越しに本丸を見る…
 
 国道291号線より…右側に空堀と本丸への通路が   本丸への虎口から国道291号線を挟んで反対側の、旧二の丸址を見る…現状は畑地・民家
     
 右の写真の土橋から左(北)側を見る…   本丸堀を跨ぎ本丸の虎口に繋がる土橋を見る… 
    
 こちらは土橋上から右(南)側の空堀を見る…
 
 土橋左側の空堀の底に降りる…突き当たりは竹林だが、断崖絶壁状…  土橋の右(南)側の堀底を歩く…
     
 上の写真の突き当りのところにはフェンスが…ここには国道の下から続く水路のようなものが
 
 南側の堀底から土橋を見上げる…奥に本丸・土塁の残存が見える  本丸に上がってすぐ右方向に「本丸址」の標示柱。…この小高い場所は櫓台跡だと思われる?!
     
 右の写真の右奥にあった社…
 
 櫓台跡にあった城址碑(トタン製・手書きの素朴な味わい)…   南端にて崖下を見下ろす… 本丸広場に戻り、東側へ歩く…
       
本丸から東側に続く「ささ曲輪」…左の一段高くなってるところが本丸   東の端のフェンス越しに利根川を見る…現状では川面は見えないが急峻なのは伺える
     
 ささ曲輪全体を見る… 本丸への通路…若干高くなっている。小川城址碑(裏側)が見える
  
 右の写真のところから本丸に入ってすぐ右(西)側の土塁の残存…
 
 本丸の東端にあった「小川城址」碑…黒御影石製  城址碑の左(西)側の土塁の残存?とその奥の竹林の断崖
     
 かなり急峻な崖と竹林…
 
 本丸全体…東方向を見る 通路の両側はバラ?   本丸の北側端の説明板の裏…低い土塁と左側は崖・竹林へ 
   
 本丸の西端から、空堀越しに国道291号線方向を見る…
 
国道291号線を挟んで反対側の「二の丸壕址」の標示柱…畑地化されいてはっきりとは確認できず  最初に入って来た、虎口〜土橋…
  
 再度、土橋上から右(北)側の堀を見る…
 
アクセス:上越新幹線「上毛高原」駅から徒歩5分…
※ You Tubeに「小川城ー群馬県みなかみ町」を投稿しています。ここをクリックして、You Tube のページへジャンプして、ご覧ください。

ギャラリー