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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

小幡城 茨城県東茨城郡茨城町小幡 2015.2.12 訪問お知らせ


 ~ 築城者・築城時期 大掾義幹(だいじょうよしもと)が室町時代(1420年頃)築城説と小田光重(みつしげ)が鎌倉時代(1220年頃)に築いたという二説がある 主な城主 大掾氏、江戸氏、佐竹氏 廃城年 慶長7年(1602年) 遺構 郭、土塁、空堀、土橋、井戸 指定文化財 茨城町指定文化財 ~
小幡城は、大掾詮幹(だいじょうのりもと)の三男義幹(よしもと)が室町時代(1420年ごろ)に築いたという説と、小田知重の三男光重が鎌倉時代(1220ごろ)に築いたという二説がある。戦国時代の文明年間(1482年ごろ)以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入る。現在の城域約12ヘクタールが整備されたのは、元亀~天正年間(1570年代)と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点として重要な役割をはたしている。安土・桃山時代の天正13年(1585年)の書状には小畑城将として大塚弥三郎と小幡孫二郎の名が見える。このころ城の守りを強化するため、涸沼(ひぬま)周辺の土豪が当番制で動員されている。天正18年(1590年)12月豊臣秀吉の権力を背景にした太田城(常陸太田市)の佐竹義詮(よしのり)により、水戸城の江戸氏は城をうばわれ、府中城の大掾氏は滅亡、この時小幡城も落城した。その後、小幡は佐竹氏の秋田移封(慶長7年 1602年)まで佐竹義詮の直轄地となり、家臣の和田昭為(あきため)が管理している。小幡城は天正18年の落城、あるいは佐竹氏の移封の時に、数百年に亘る歴史的役割を終えたと考えられる。(茨城町教育委員会が現地に設置の案内板「町指定文化財 小畑城跡」より)
小幡城は三方を湿地にかこまれた西に広がる舌状台地に築かれている。城の構造を見ると、西からの敵の侵入を想定していることがわかる。突き出た「折邪(おりひずみ)」は、正面ばかりでなく側面の敵に対しても威力を発揮し、また郭をとりかこむ深い「堀底道」は、敵を自然と城外へ追いやるように工夫されている。特に現在地は、堀底道から侵入した敵を撃退する要所である。高台の部分は、城の西側を中心とした情勢をつかむ「櫓跡」と思われる。また東にのびる土塁上に凹を持つ「変形武者走り」は、少ない城兵で両側の堀底道の敵を攻撃できる機能を持っている。他の城には例を見ない遺構である。(茨城町教育委員会が現地に設置の案内板「小幡城遺構の特徴」より)
  水戸街道(6号線)から小幡南で右折して、東関東自動車道を超えてすぐの城跡を目指す。一応、香取神社が目印か…神社の近くに入口がある。町指定史跡 小幡城跡の標示柱があり、すぐ横に(下の写真の)説明板が。縄張りう部分を拡大して、歩いたコースを図示してみた。右上(東側)が入口。駐車スペースもある。縄張図の
 
     
  小幡城跡の案内板…
 
 入り口から、物凄い空堀・堀底道…縄張図の   突き当りに、横矢が… 
        
  こちらはコースになっていない、ロープが張ってある。上の写真の突き当り右側部分…
 
 ここが、ロープが張られている入り口で、
矢印方向に本丸・櫓台への堀底道が…
 
 左の写真の通路を望遠で撮影。こちらもロープが張られて…
           
 本丸・櫓跡方向へ進む。ここは、通路として後年造られたとのこと…突き当りに「堀底道」の標示が。また横矢で左右に堀が分かれる
「堀底道」の説明板… また、突き当たって、横矢掛り…本丸・櫓跡への標識
       
  物凄い空堀(深さ10m位ある)の堀底道を櫓台方向へ進む…
 
  またも右クランク…   更に進む…  櫓台への入り口が近づいてきた…
     
 櫓台・本丸への方向標示…   左の写真の階段を上がって、やgら台とは反対方向に行くと、下の案内板があるところに出る。 
   
 上の案内板のところから土橋上の部分を振り返り見る。ここが枡形らしい形状…
 
  櫓台への通路から左側の堀底を見下ろす…
    
櫓台跡だ!見える大きな木は「スダジイ」
(関西ではツブラジイ?)椎の木ですね…
 櫓台からのわずかに続く尾根道…
  
  五の郭方向を見る…
 
五の郭内部…結構広い
  
櫓台から、堀底道へ降りて、本丸方向へ進む…   五の郭と本丸の間の堀底道… 
  
 五の郭を見る…
 
 四の郭を右に見て本丸方向尾へ進む  土橋…四の郭と五の郭を繋ぐ土橋 ⑦
 四の郭の竹林…
  本丸…入り口すぐのところに案内板があり、手前に標示柱が…  
     
 左の写真の説明板…本丸と二の郭は城主及び重臣の居住地と思われるとのこと。
 
  本丸…周囲には土塁の名残が
 
  井戸の説明板…    井戸…   井戸をのぞき込む…
     
 本丸の前の堀底道へ降りる通路の右方向、四郭の満タンの稲荷神社を目指す…   四郭の端を歩いて、右の写真お稲荷神社へ。
…神社というより社て感じですね!
 
     
  四郭内部の竹林を見る… 
   
  再度、本丸前…出口方向へ歩く  三の郭を右に見て…   更に、少し歩くと…
     
  右に横矢がかかり…  二の郭と三の郭の間の空堀を右に見て、左が出口…     三の郭と二の郭の間の堀底道だがロープが張られている…
     
  何とか工夫して(別ルートから)二の郭に上がって見た…かなり広い
     
 
  二の郭の北側の堀底道を見下ろす…右端に小屋が見える
     
  二の郭の北側の堀底道から、入口への切通口を経由して、最初の入り口のところの堀に戻った…   最初の、入ってすぐ右側の空堀(ロープが張ってあったところ)を望遠で撮影…入れそうにないですね!
     
  入口のところに戻り、香取神社から城跡全体を見る…   香取神社…小幡城の鎮守 ⑩ 
     
  北西側から小幡城跡方向を見る。手前に東関東自動車道が建設されて、曲輪は分断された。この辺に土門(大手門)跡があると聞いたが、見当たらず…右側の写真の「城跡碑」はあったが… 
     
中世城郭の遺構、圧巻の土塁と空堀がどぉ~んと眼前に広がる。複雑な縄張と迷路のような堀底道。関東屈指の中世城郭で、おススメです。しかし、アクセスが大変~公共交通機関では、常磐線石岡駅か水戸駅からのバス便になるが、便数が少なく非常に効率が悪い。現地に行くにあたって、地元茨城町(窓口生涯学習課)に問い合わせのしたところ、大変親切に道案内の説明を頂いた。感謝です!  
アクセス:JR常磐線 石岡駅あるいは水戸駅からバス。バスの便数が極めて少なく、レンタカー・自家用車利用がおススメ!
 ※「小幡城ー茨城県茨城町、圧巻の土塁と空堀の中世城郭!」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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