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小幡城(陣屋) 群馬県甘楽郡甘楽町小幡 訪問日 2015.12.26お知らせ

 〜 築城者 織田信雄 築城年 元和元年(1615) 主な城主 織田氏、松平氏 廃城年 明治2年(1869) 遺構 郭、土塁、空堀、石垣、庭園  現状 楽山園 〜
 <小幡藩の成立まで> 小幡氏は甘楽の地の国峯城を本拠にした豪族でした。鎌倉時代よりその名が知られ、南北朝時代には関東管領上杉氏の重鎮として上州八家の一つ、また上州四宿老(長尾、大石、小幡、白倉)の一人として活躍しました。天文15年(1546)の河越城の戦いで上杉憲政が敗れた後は、甲斐の武田信玄の幕下に加わり「上州の赤武者」として恐れられました。武田氏滅亡後は織田軍に属しましたが、本能寺の変(1582)以降は小田原北条氏の勢力下に入りました。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めで落城すると、甘楽の地を徳川家康に明け渡し、信州に逃れました。天正18年(1590)から慶長6年(1601)までの11年間は、小幡領2万石として奥平信昌が領主となり、国峯城の枝城であった宮崎城(現富岡市)に入りました。奥平氏は長篠の戦いで武功をあげ、家康の長女亀姫を夫人としました。その後奥平氏は美濃加納(10万国)の城主となり、そのあとを水野忠清(後の松本藩主)、井伊直孝(後の彦根藩主)が、それぞれ1万石を領収しました。慶長20年(1615)大坂夏の陣で豊臣氏が亡びると、戦国時代が終わり、徳川幕藩体制が成立しました。天下は太平の世へと移っていきます。
<徳川藩による小幡藩の成立> 元和元年(1615)、天下を統一した徳川家康は、織田宗家を継いだ織田信長の次男信雄に大和国(奈良)宇陀郡3万石と小幡2万石を与えました。翌年、信雄の四男信良が福島の仮陣屋に入り小幡藩政が開始されました。寛永6年(1629)小幡への藩邸移転が計画され、地割、用水割、水道筋見立て等が実施されました。…中略…着手から13年の歳月が過ぎた寛永19年(1642)、福島の仮陣屋より小幡藩邸へ移転が行われた。その後織田家小幡藩152年の歴史が続きました。(現地説明板「城下町小幡の成り立ち」より抜粋)
上信電鉄「上州福島」駅が最寄り。駅を降りると、「ようこそ城下町小幡へ」の甘楽(かんら)町のメッセージが…ここから南方へ約3キロのところが小幡陣屋
 養蚕農家の街並みを歩く…途中に小幡八幡宮が。当社は元和2年織田信雄が小幡城主となり創建した。三代将軍家光が社領七石を寄進し、以降、明治維新に至るまで歴代将軍の朱印耐えることなし。
    
 小幡八幡宮の参道入り口の門柱…
 
 右の写真の鳥居をくぐって急こう配の階段を上がっていくと拝殿に…元禄14年造の神輿が甘楽町資料館い保存中の由 
         
 鳥居を過ぎて山門的なところを上がっていく…
 
 寛永19年(1642)、織田氏三代信昌は、小幡陣屋を築造して福島から移住しました…陣屋の正面に当たるこの辺りに表門として「大手門」が置かれた…  下の地図の「歴史民俗資料館」の手前に「大手門跡」がある。町営の「大手門お休み処」のすぐ裏に当たる。…その後、中小路、御殿前通りを経て「御殿跡―楽山園」に向かう 
     
 大手門の礎石…往時の大手門のもの
 
 御殿前通り…遠くに見えるのは小幡小学校のようだ   奥方と何人かの腰元が住んでいたと言われている。幕末ペリーが浦賀に来た時に、将軍が江戸城大奥の女官たち15~16人この屋敷に疎開させたと言われている…下の説明板より
     
 松平家大奥の建物と庭…
 
 
 喰い違い郭…防衛上のために造られたもので下級武士が上級武士に出会うのを避けるために隠れたとも言われている。石垣は当時のもので、喰い違い郭とともに町重要文化財に指定されている(左上の写真説明参照)
     
 石垣及び喰い違い郭についての説明板…
 
 御殿前通り…右側が甘楽第2中学校と思われる
      
楽山園手前の通りを振返り見る…
 
 御殿前通り、楽山園入口手前の通りの塀に設置されていた幟…織田家八代、松平家4代の藩主名が  名勝楽山園の石碑と中門…陣屋の出入口で2011年に復元整備された.藥井門形式で鏡柱間4.54mとか 
 小幡藩立藩400年…
 
 下の地図の中門を入って現在地と表記があるところにあった説明板より…  中門を入って、内側から振り返り見る…
     
門を入ってすぐ前に復元された空堀とその手前に番屋があった区画を示す標示が…
 
 中門を入ってすぐ目の前に現れる空堀…整備されすぎの感がある 御殿部屋割り配置図…発掘調査結果に従い区画を示す部分を明示している
     
 「雪隠」(トイレ)の標示…拾九間長屋の前の部分
 
拾九間長屋(右の写真)の前の、復元された土塁と空堀…堀幅・深さを縮小して2006年に復元された 北側にあった「厩(馬屋)」…
     
 上の写真の土塁と空堀を反対側から見る…拾九間長屋が奥に見える 井戸(銀名水)… 中門の出口に通じる部分…
     
     庭門…中に入ってから外(北)側を振り返り見る  熊井戸氏の館跡…織田氏が陣屋造営前に小幡氏の重鎮であった熊井戸氏の館があった場所(写真説明参照)
     
 右の井戸が「熊井戸」と呼ばれるもの…
 
 梅の茶屋より南方を臨む…  腰掛け茶屋より昆明池方向を見下ろす…
     
 やや南西方向か…梅の茶屋より
 
「梅の茶屋」より北側を見下ろす…手前に御殿・藩邸部分、右端に拾九間長屋が見える 梅の茶屋〜降りていくと梅の古木が…説明は下の写真
     
 「楽山園に残されていた梅」についての説明が少し…
 
 梅の古木の下に簡単な通用門が…  最初に見た、復元された空堀と土塁を改めて見る…
     
 最初に「中門」を入ってすぐのところにあった「玄関前門」…
 
アクセス:上信電鉄上州福島駅から徒歩約30分……
 ※ You Tubeに「小幡城(陣屋)ー群馬県甘楽町」を投稿しています。You Tube のページへこちらからジャンプしてご覧ください!
              

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