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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 練馬城 東京都練馬区   2015.10.21 訪問
 〜 築城者 豊島氏 築城年 不明(15世紀後半?) 主な城主 豊島氏 廃城年 1477年 遺構 なし(宅地化されたところに痕跡はある) 〜
 練馬城は、豊島氏が石神井城の支城として築いたものと考えられている。この練馬城の位置は、南北に走る鎌倉道が東側にあり、東西に走る石神井川の交通がクロスする交通の要衝であった。練馬城の跡地は、今は豊島園遊園地となっている。正面から見える巨大なハイドロポリスの場所が主郭のあった場所とされている。豊島氏は文明8年(1476)に起こった長尾景春の乱において、長尾景春に同調して山内・扇谷両上杉氏と戦った。この乱で、江戸城と川越城の間に位置する練馬城は両城の連絡を遮断する役割を果たしていた。この乱は太田道灌により1480年に鎮圧されたが、この戦いの過程で、道灌軍が練馬城に迫って練馬城に矢を放ち、周辺に放火した際、豊島軍は練馬城・石神井城から兵を出して道灌軍を追いかけた。その結果、江古田原での合戦となり、豊島軍は壊滅的な打撃を受けて石神井城に逃げ帰ったが、練馬城は放棄され廃城となった模様である。
「東京近郊史跡案内」などの古図を参考に、素人ながら縄張り図作りに挑戦してみました。結果は、イメージ図程度で正確な図にはなっていません。確認できる遺構がないことから、現在の場所と重ね合わせて想像していただければ…  西部豊島線「豊島園駅」…少し離れたところに都営大江戸線「豊島園駅」がある。
     
としまえん遊園地を前の道路から見る…入園料は大人千円。遊園地周囲の遺構を探した。
 
 上の図の、鎌倉街道が石神井川を超える個所に架かる「中の橋」から、遊園地方向を見る(左側が遊園地)…江古田原合戦の際の渡河地点もこの辺だと思われる。   鎌倉街道を戻り、遊園地への通路に来た…谷(旧外堀)の場所?
 遊園地の前の、先ほどの通り…この辺も谷になっていたと思われる。 
     
 遊園地内部をフェンス越しに見る…
 
 遊園地内の内部の、主郭があったとされる巨大な「ハイドロポリス」をフェンス越しに見る…
    
 東の谷を横切る通路の、現在「都立向山庭園」になっている前の通り。現在でも窪地状になっているのが確認できる…
  
 向山庭園内部…
 
向山庭園の前の通りを反対側に渡って振り返り見る… 東の谷から西の谷に向けう途中の通路…
     
 西の谷に入る手前で、遊園地の「ハイドロポリス」をフェンス越しに南側から見上げ見る…
 
 今度は西の谷に入る。…ここでも、現在でも、はっきりと窪みが見える。 
     
 向山三丁目辺り…この辺から二郭。西の谷から、舌状台地の端を通り東の谷に向かったが、その途中に空堀があったことが確認されており、二郭が独立した形状となる。
 
 二郭から、練馬三丁目付近に来て、当時集落の存在が指摘されている所に、白山神社があった。国の天然記念物である「白山神社の大ケヤキ」が有名…
     
アクセス:西武鉄道豊島線あるいは都営大江戸線「豊島園」からからすぐ…
 

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