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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

中城(なかじょう) 埼玉県比企郡小川町大塚 訪問日 2015.12.1お知らせ

 〜 築城者 猿尾種直? 築城年 鎌倉時代? 廃城年 ? 遺構 郭、土塁、空堀
 …この地域は、付近をとりまく土塁、空堀跡、櫓の跡から、中世の土豪、猿尾(ましお)氏の居城で中城跡(なかじょうせき)といわれている。…(現地に、埼玉県・小川町が設置の万葉学者の仙学之遺跡の説明板「仙学律師遺跡」寄り抜粋)
 鎌倉時代は猿尾太郎種直の居館だった、また、建武年間には斎藤重範の居城であったと「埼玉の館城跡」では伝えられている由。戦国時代には腰越城の支城となっていたとも伝えられている。
東武東上線・JR八高線小川町駅から徒歩 約15分…右の地図の現在地のところに、「仙覚律師遺跡」・「中城跡」とあるが、ここでは、「仙覚律師遺跡」のほうが有名であり、先ずはそこを訪ねてゆけば、そこが中城跡である。
     
 それらしき台地が見えてくるのでそこを目指して歩くと、上の写真の案内標示が見えてくる…そこの階段を上がる
 
 階段を上がると、右の写真の場所に…見にくいが、虎口のような入り口が見えて、奥にはテニスコートが見える(主郭跡思われる)。その手前には、郭を囲む空堀への入り口が見える。
     
空堀の入り口から右方向を見る…
 
 少し歩くと、ちょっとした削平地に出る。そこには、左の写真の石碑の土台と思われる石積みがあった。その、一番上の石の文字を判読すべく拡大し担保が、その下の写真…「中城址」と読める。
     
 中城址と読めますよね!?
 
テニスコートの端のところに、「仙覚律師遺跡(中城跡)」との標示柱 テニスコートを右に見て城跡に足を踏み入れる…右の写真は振り返り見た景色(ここだけ紅葉がきれいだった)
 主郭を北側から西方にぐるりと囲む土塁…この向こうには横堀が 城跡の南西に建つ御堂…少し高くなっており櫓台だったのか?
      
北側の虎口的なところ…堀切となっている
 
 西側の土塁…右の端二テニスコートが見える。青色の標示板が見えるが、この城跡一帯に「万葉集」の歌碑的な案内板が見られる  西側の土塁上を歩く…左側に空堀が見える  空堀に降りる通路(虎口?)…ここから空堀に降りる
 空堀の底を歩いて東の方向へ行く…最初に行った城跡碑があった場所の下に来た。右の写真のような状態で空堀としては続いていなかったので引返す。 
     
最初に通った主郭への通路のところに戻った。ここから、再度右側の堀底を歩く…
 
 右の写真の空堀底を歩いて行くと、右側(北側)に公園のようになった池が見えて来た… 
     
 人工的な池を巡る遊歩道的な通路もあったが、中城がかつて水堀を持っていたのかは定かではない(というか何ら資料がなかった)…
 
人工的な池 
  
再び、空堀の底道を歩く…西側から南側へ行く
中城本郭・仙学律師遺跡碑への道標が…
 西端で左(南)に曲がる…  空堀底道に上がる手前の右側の土塁を見る…この水路も公園整備の一環で作られたか?
     
 南側の堀底を歩く…
 
      ぐるりと回って、御堂のあった場所方向へ戻って来た…  御堂のあった台地のところを右に曲がると民家が見えて来た…
     
 更に、左に折れて東の方向を見る…
 
 再び主郭方向へ戻り、主郭に上がる階段のところで左(西)方向を見る  南側の角のところにあった道標…御堂のある位置は隅櫓台のように見える
  
 北方向を見ると、上の写真の階段がお堂の左側に見える…
 
 城跡の南側の民家方向に行き城跡の小高い丘を見る…   少し歩いて舗装道路に出た時に見つけた案内標示柱…
      
アクセス:東武東上線・JR八高線「小川町」駅から徒歩約15分
 ※ You Tubeに「中城(なかじょう)ー腰越城の支城」を投稿しています。You Tube のページへこちらからジャンプしてご覧ください
              

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