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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

長篠城 愛知県新城市長篠  2016.4.11 訪問お知らせ

 〜 築城者 菅沼元成 築城年 永正5年(1508年) 主な城主 菅沼氏、奥平氏 廃城年 天正4年(1576年) 遺構 曲輪、土塁、空堀、石垣 指定文化財 国の史跡(城跡の一部) 日本100名城(46番)〜
 要衝(ようしょう) 長篠の地は豊川をさかのぼって約25km、長野県、静岡県北部に通じる道中にあり、このあたりから平地は山に移っていく。江戸時代の豊川舟運も長篠城を超えるところで終点になる。戦国時代、武田軍と徳川軍がこの城を奪い合ったいわゆる境目の城であった。
要害(ようがい) 長篠城の南面は宇連川、西は豊川、ともに50mの断崖である。なお本丸の西北は矢沢の険しい谷である。平地への面を水堀と土居、そして外郭は柵又は塀で囲んだ。平地へ移って来てもできるだけ天嶮を利用した戦国末期の典型的な築城である。
土居と掘(どいとほり) この正面に見えるのは、本丸の土居と堀で天正3年の姿を残している。右手に門と土橋があり、続いて土居と堀が伸びていたが江戸時代に崩されて今はない。堀の土はかき上げられて土居にした。堀には水を率いれた。土居と堀は直線に進まず直線に近い出入口がある。この形はやがて近世の城郭へ移り変わる姿を見せている。
                 (長篠城址史跡保存館前の広場(帯郭)に設置の案内板「要害の長篠城」より)
「長篠城駅」前にあった案内板、「長篠の戦い 史跡めぐりコース」…ここから徒歩で約7分で長篠城址へ… 豊橋駅構内…「本長篠」行のローカル列車。基本的に1時間に1本程度
      
 「長篠城」駅ホーム…
 
 長篠城駅…無人駅で単線の路線  二の丸 帯郭にあった「長篠城縄張概図」…
     
 城址方向へ歩くと、左手に「搦手門址」の標示柱が見えて来た…これだけ!
 
 「長篠合戦図屏風」の複製が二の丸広場に設置されていた…長篠城址史跡保存館にも鮮明なものがあった  二の丸 帯郭から東側の内堀を見る…遠くにJR飯田線の線路が見える 
     
上の写真の続きの場所…奥に史跡保存館の建物が見える 
 
 二の丸の駐車場から、北西側、国道151号線方向を見る…  左下の案内図の拡大図…地図の左端の方に、「古宮城址」が。また設楽ヶ原決戦場の場所も確認できる 
     
 駐車場にあった「しんしろ観光ガイド」…
 
 地元の小学校の課外授業か、訪問者に各種のテーマで紙芝居を取り入れ解説してくれました。ここでは「医王寺の言い伝え、片葉の葦」でした…右の説明参照  医王寺の言い伝え 片葉の葦… 医王寺に陣を置いた武田勝頼は、決戦の前夜の枕元に白髪の老人が現れて、「私はこの池の葦の精霊である。 明日の戦いは無謀なので武田軍が負けるからやめるように。」と告げたところ、勝頼は太刀で斬りつけ、片手を切り落とした。 …翌朝、この阿弥陀池の葦はすべて片葉になっていたという   二の丸 帯郭跡…史跡保存館前の広場・内堀の手前。奥が本丸・JR飯田線もこちらの方向
   
本丸手前にあった道標とその右に「掘」と「土塁」の残存?  本丸跡から北西側にある「矢沢」…医王寺から流れ込んでいる。寒狭川(現豊川)に流れ込む。ここから見える滝が「不忍の滝」(右の写真説明参照)。向い側が弾正郭
     
不忍の滝…本丸端(北西)からフェンス越しに見下ろす 長篠合戦陣没両軍将士諸精霊位供養塔…どこが建てたのか?
     
鳥居強右衛門磔の場所…寒狭川の対岸、説明は左下の写真参照
 
 磔に散る烈士 鳥居強右衛門…説明板  長篠城址本丸跡の碑(コンクリート製)…向こう側がJR飯田線 
     
 線路の向こうの柳生郭跡の標示柱…
 
 本丸側のフェンスに設置の案内板(右の写真)…線路の向こう。その部分の拡大が左の写真
     
 対岸、「武田軍五つの砦」の説明板
 
 鳶ヶ巣方面の戦いの解説板(左の写真)…酒井忠次が率いる4千の兵で武田側の鳶が巣山砦を奇襲。…早朝鳶ヶ巣山砦陥落。その後、連吾川の東に布陣していた武田軍が、織田・徳川連合軍に攻撃開始するも敗退が続いた 
     
 本丸周囲の残存土塁上に設置の「長篠城址碑」…
 
内堀との標示柱が見える…駐車場・説明板も見える 史跡 長篠城址の石碑…本丸への通路の入り口にあった 家老屋敷跡…史跡保存館の裏(北)に当たる場所
 弾正郭跡…保存館の西方、石垣が風情がある  史跡保存館を後にして、国道151号線に出る…来るまで来る人はここを左折して史跡保存館・城址へ
     
ここを北の方へ行くと勝頼が陣を置いた医王寺が…
 
大通寺の裏手の「盃井戸」…合戦に臨む武田方の武将(馬場信房、山県昌景ら)が分かれの水盃を交わしたとか ここは、史跡保存館から国道方面に出る手前の交差点のところ、二の丸…右に行くと、長篠城駅。林藤太夫高英屋敷跡との標示も。この右側面には、次の写真の糧庫址の標示柱が見える
     
 大通寺入口…ここを右に行くと盃井戸及び大通寺側陣地跡が
 
大通禅寺盃井戸(この右だが…)の標示柱… 陣地への案内標示…この上が陣地 上の写真の右側面にあった「糧庫址」の標示柱…
長篠城駅から飯田線に乗り、車窓から大野川(宇連川)・寒狭川の交わる部分を見る…右の写真は「渡合」地区の牛淵橋辺りからの撮影
車窓より、野牛郭を改めて見る…
アクセス:JR東海飯田線長篠新城駅から西へ徒歩7分
 
 ※ 「長篠城〜愛知県新城市〜日本100名城」をYou Tube に投稿しました 。こちらをクリックして、You Tubeのページにジャンプしてご覧ください!

※ 「長篠・設楽原決戦」はこちらからジャンプしてご覧ください!
 

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