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長浜城 滋賀県長浜市公園町 2011.9.30 訪問  2017.11.23 再訪お知らせ

 〜 築城者 豊臣秀吉 築城年 天正2(1574)年  主な城主 豊臣秀吉、柴田勝豊、山内一豊、内藤信成、内藤信正 廃城年 1615年 遺構 石垣、堀 〜
 秀吉の長浜築城:天正元年(1573)9月浅井長政滅亡後、湖北(滋賀県北部)を支配したのは、羽柴(豊臣)秀吉であった。姉川合戦と小谷城攻めで手柄をあげた秀吉は、その功績によって浅井氏の領国の大部分を与えられ小谷城に入った。そして翌天正2年夏にはすでに今浜(長浜市公園町付近)に築城を開始している。秀吉が湖岸に城を移した理由は、琵琶湖の舟運を重視した領国経営にあったと考えられる。秀吉の築城については、当時の絵図や古文書がほとんど伝来せず、不明な部分が多い。材木は竹生島などから運んできたことや、石垣用の石材は領内から集められ、石仏や五輪塔などの墓石まで使用されたと考えられている。長浜城は天正5年(1577)頃に完成したと考えられ、秀吉は地名を「長浜」と改めて天正10年(1582)まで在城した。

長浜城その後:長浜城は天正10年(1582)には清須会議で柴田勝家に譲られ、勝家の甥勝豊が入城したが、はやくもその年の12月、秀吉は勝豊を攻めて、翌年4月に行われた柴田勝家との賤ケ岳合戦に際しては、その軍事拠点としている。天正13年(1585)から18年(1590)まで山内一豊が城主となり、その移封後は次第に荒廃し、湖北真宗門徒の惣会所が城内に設けられたともいう。この時期湖北は、佐和山城主石田三成(長浜市石田町出身)の支配下に入っている。慶長11年(1606)には、徳川家康の異母弟内藤信成が城主となり大修築を行う。慶長17年(1612)その子信正が城主となるが、元和元年(1615)摂津高槻城への移封によって、長浜城は湖北支配の役割を彦根城に譲りその使命を終えた。廃城後、石垣・櫓材は彦根城などに運ばれ、長浜城は完全に失われた。長浜大通寺台所門や知善院表門(いずれも市指定文化財)などはその遺構と伝えられる。

昭和の長浜城築城:現在の長浜城は、故東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の設計指導により、昭和58年(1983)に再興され、市立長浜城歴史博物館として開館。本館の外観は、2層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で、「秀吉の長浜城」を再興しようという市民の熱意によって天正期の城郭を想定し建築されている。平成18年(2006)2月、館名が長浜市長浜城歴史博物館と改まった。
(入城時入手のパンフ「秀吉出世城 長浜城」より)
 長浜駅前ロータリーに停まっていたバス…戦国の聖地、北近江・長浜のラッピング JR琵琶湖線(北陸本線)長浜駅から、城跡まで徒歩7分… 
    
 長浜駅西口…
 
 模擬天守…望楼型3重5層(鉄筋コンクリート造り模擬。1983年建造。  豊公園入口の城址碑…
     
 旧長浜領境界碑…
 
 この階段の上が模擬天守(長浜城歴史博物館)入口… 模擬天守を下から見上げる…  
     
 博物館に展示の、長浜城築城時の様子を描いた写真…
 
 11月下旬だが、まだ紅葉が楽しめる…   佐和山城跡・彦根城方向を見る…
     
 博物館入口から右方向へ行くと、このような入口が…何ら説明なく不明
 
 築城時に人柱となった「おかねさん」の話が伝わっている…  「本丸橋」の由来の説明… 北側の奥に「國守神社」… 
     
 再び豊公園に戻り、天守を右に見ながら進むと、右の写真。本丸跡に来た…
     
 市立長浜城歴史博物館の説明板…長浜市が設置
 
アクセス:JR長浜駅から徒歩約8分
 
 

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