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本佐倉城(もとさくらじょう)千葉県印旛郡酒々井町本佐倉 2013.12.7 訪問
お知らせ


 ~ 築城者 千葉輔胤 築城年 文明年間(1469-86) 主な城主 千葉氏 遺構 曲輪、土塁、堀 ~
城山と奥の山の間の堀切                    ~国史跡 本佐倉城跡~
本佐倉城は下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し、天正18年(1590)に豊臣秀吉により滅ぼされるまで関東有数の大名千葉氏の居城でした。規模は35haに及び大規模な空堀・土塁、櫓台などが残っており、関東地方を代表する戦国時代の城跡として国史跡に指定(平成10年9月)。(管理者 酒々井町・佐倉市 協力 旧本佐倉城址保存会が現地に設置の案内板より)
 東光寺ビョウから見る航空写真をまずご覧いただき全体のイメージを持ってください!
 
ここでは、全体の縄張り図を!左側の東光寺ビョウから入り、
東山虎口のある「現在地」との表示の部分より入城
 
駅から歩いて約10分、東光寺ビョウ
から東山虎口を目指した、非常に歩
きやすい平坦な道路であった
    
遠くに本佐倉城址との
でっかい看板が見える?! 
 
東山虎口から入城…右下の説明にあるように、ここに、
かつては門があった。両側の土塁はかなり急峻
 門があったところから入ると広場に出る
     
 この広場は、東山馬場の一角と思われる…最初の地図を参照  山現地にあった東山子虎口の案内説明板…かなりしっかりした防備
振り返り、東山虎口・門
の方向を見る
虎口の右側(内側から
見ると)の土塁がそびえる
 土塁上から印旛沼方向を臨む こちらは東光寺ビョウ方向を見る
 土塁上に設置の案内板…遠くに筑波山が。昔は印旛沼がすぐ近くまで来ていて自然の防備ができていた。京成線の先に、点線が表示されている・ 東山馬場からIV曲輪虎口方向を見る
IV郭から「倉跡」の方向へ 
 
倉跡から奥の山に至る…  土塁の手前に
「妙見宮跡」の標示柱
 奥ノ山…II郭部分にあたるか
 奥ノ山の端 の橋のところから下を見下ろす(城山と奥ノ山の間の堀切が見える)
奥ノ山から再び倉跡の方に戻る   IV郭虎口周辺の説明図…塀跡、門跡が見つかった
 
 最初に来た東山馬場に、模擬の盾(
家紋入り)が多く立てかけてある
 奥ノ山(右)と城山(左)の
間の堀切に向かう
かなり急峻な土塁、堀切は突当りで横矢がかかる 
城山方向への通路 土塁の先は深い堀になっている  この先が城山
城山虎口付近の説明…要所要所に説明版がありありがたい (逆光で)見にくいが、城山
の標示柱と門の標示
      
城山の標示を拡大
 
塀の標示が(現地ではカラーローブで表示してありわかりやすい)   7通路跡と塀の表示
 城山門跡の詳しい説明…この先右側に主殿があった 塀(右側)と土塁(左)の標示が
  
門と塀の標示が
 
 右「妙見社」、左「本佐倉城跡 東光寺ビョウ」の案内板 最初の地図の、「倉跡」と「セッテイ」の間の堀切を
通り、セッテイ空堀及び東光寺ビョウへ向かう
      
 セッテイ空堀 「セッテイ空堀」の説明板
      
 の山の間の堀切 セッテイ・倉跡の間の空堀
    
 の山の間の堀切
 
 南奥虎口を外側から見る 南奥虎口 木戸(いわゆる門)跡、柱穴が調査で見つかる
東山馬場へ出て根小屋の館を目指す
 
 ここで、「本佐倉城跡」の石柱を見つけた…遠くに見えるのが東山虎口  根小屋の館跡…現在は地区の公民館・消防団車庫
     
根小屋の館にあった案内板…根小屋館側から本佐倉城跡を見る
   
交通アクセス:京成本線「大佐倉」駅から徒歩10分、あるいはJR成田線「酒々井」徒歩20分
※You Tubeに「本佐倉城」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!

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