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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

宮寺館宮寺城・加納下野守城) 埼玉県入間市宮寺 2015.1.29 訪問

〜 築城者 宮寺家平 築城年 鎌倉時代 主な城主 宮寺氏一族 廃城年 不明 遺構 土塁 入間市指定史跡 〜 
 桓武天皇九代の孫、村山(平)頼任は、今から約900年前村山に住み武蔵七党の一つ村山党の祖となった。その子孫は、枝葉のように入間郡を中心に大武士団となり、源頼朝の鎌倉幕府成立に大きな力となった。村山(平)頼任の子、頼家には四子があり、その二男の家平が宮寺の領主となって宮寺五郎家平と称して、この地に居館を構えたのである。すでに800年以上も昔のことであり、この居館跡の全体遺構を見ることはできないが、西勝院境内南側、東側の土塁と空堀また山門手前左側土塁の痕跡は明らかに当時の遺構の一部である。さらに西側を流れる溝が館の堀であったと推測され、したがって内側に土塁が、構築されていたと考えられ、この溝は西勝院の境内を囲むように西側から北側に及んでいる。鎌倉幕府滅亡(西暦1333年)時には加納下野守が、ここに住んだと伝承され、江戸時代は伊能尾(狩尾)氏が住んだと伝えられている。(入間市教育委員会が西勝院境内に設置の案内板「市指定史跡 宮寺館跡」)より)
西武池袋線 「小手指」駅…ここから「宮寺西」行きのバスで約15分「宮寺」下車、すぐ(約10分)   バス停から歩く途中にこんな看板が…「ホッタラケの島〜遥かと魔法の鏡〜」フジテレビ開局50周年記念作品のひとつとして公開された。その始まりの舞台のモデルがこの辺に!
西勝院…真言宗豊前派 境内は宮寺氏の館跡と伝えられている。  この門は黒門と呼ばれていて、江戸時代からの歴史があるとのこと。御本尊は、薬師如来。…境内に入り右側を見ると、残存土塁と説明板が。
      
 山門の手前の左側に残存土塁が?(不詳)…クリックして拡大して見てください。
 山門を入り右側の残存土塁の方へ…  一番下の縄張り図の黒く塗りつぶされてる部分の土塁…
     
現状でも、2-3mの高さがある…
 
土塁の上にあった社…  L字型の曲がってる部分…土塁上を歩いた。
     
 土塁の下、南側の民家との間…
 
 土塁の上がってきた方向を振り返る(寺院境内方向を見る)  東側の竹林側を見下ろす…右側は民家のようなので、この辺から戻った 
       
 土塁上から境内を見下ろす…  西側の門から見た西勝院…この白い塀の手前の溝が館の堀であったと推測されている
     
南側から北側への溝を見る…  西勝院の周りを東側に回って、歩いていくと「三ヶ島製材(株)」の建物があり、そこの壁に「宮寺城址」の案内標識が…矢印に沿って歩くと、西側の門からの溝「堀跡」の方に戻った 
       
 入間市教育委員会・宮寺郷土を知る会・入間市文化財研究同好会が三ヶ島製材の壁に掲示の説明板  
  
上の写真の説明板にあった「宮寺館跡要図」…「城腰」とか「城東」とかの字の名前が面白いですね!
  
アクセス:西武池袋線 小手指駅から、西武バス「宮寺西」行で約15分、「宮寺」下車約10分
 ※「宮寺館ー埼玉県入間市をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 
                                              

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