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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

増尾城 千葉県柏市増尾 1st 2014.5.19 、2nd 2017.5.17 訪問お知らせ

 〜 築城主:不明(相馬氏?) 築城年:鎌倉〜室町時代?  主な城主:相馬氏、高城氏、平川若狭守 廃城年:不明(1590?) 主な遺構:土塁、堀 
増尾城址公園の一角には、約500年前の戦国時代後半代の築造形態を残す中世城郭が存在します。城跡の由来については、当時の資料が残されていない今、城主や築城の目的など詳しいことは分かりませんが、大正11年刊行の「土村詩」には、土地ではこの山を「城山」と呼んでいたこと、同12年に編纂された「東葛飾郡詩」には、戦国時代、当地は、小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守(わかさのかみ)が城主であったと推測されています。城跡は、西側から東側へつきだした小規模な舌状の台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津川の分流が流れ、北側から東側にかけてはゆるやかに下る谷とけわしい崖となり自然地形を取り込んでいます。台地郭面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mあります。郭の構造は、東西約130m、南北45〜100mで東西に長い三角形状の縄張り構成となり、台地東端の先端部に三角状の主郭(I)と台地西側の方形の副郭(II)が連続して並びます。それぞれの郭は、土塁、横堀(空堀)、切岸(きりぎし)(崖)などの防御施設で取り囲まれ、虎口(出入口)が2か所設けられています。郭内の土塁の高さは2.5〜3mあります。主郭と副郭の北西辺の土塁がとぎれないこと、南西隅に大規模な張出櫓があるところが特徴とされます。(柏市教育委員会が現地に設置の案内板より)
柏市教育委員会が現地(下図の説明版・現在地)に設置の案内板から縄張り図を抜粋、利用させていただきました。副郭に入る前に堀切に入って、出枡形を見て、その後、虎口から副郭へ入りました…散策ルートを朱色で加筆しました… 東武野田線「増尾」駅から徒歩約20分。芝浦工大附属中高のすぐ隣に城跡があった。
    
 増尾城址公園の標識
 
 上の図面の左端部分(櫓台との標示の左)の階段を上がってきた…「城址」との標示のところを左に一旦入り、右の写真の出枡形部分に入る
     
 副郭へ上がる…
 
 右端の入り口部分が副郭への虎口だろう…   横堀の壁(土塁)を見る…
     
上の写真の続き…左の写真に続く
 
副郭の土塁上から堀底を見下ろす… 副郭全景…右方向に主郭への虎口。左の端に案内板と城跡碑(左下の写真)が… 
     
「史跡 増尾城址」碑… 
 
 副郭の北側の土塁を見る… 副郭の一画にあった案内板…縄張図と説明分はここから拝借
  
 副郭の北がの土塁上を歩く…
 
副郭の北側土塁上から横堀を見下ろす…この辺で横矢が掛かっているようだが分かりにくいですね! 副郭から本郭への入口(虎口)…虎口の右側部分が櫓台と思われる。この右方向に芝浦工大付属中高学校がある。
  
 右の写真の虎口のすぐ右の南側の崖のところ…これは空堀として続いていたようで、主郭への虎口から北西へ堀があったとのこと(現在は埋められている)
 
 主郭北側の土塁上に上がり、主郭への虎口の左側の土塁上から副郭を見下ろす…案内板が小さく見える 地図の南西端部
 芝浦工大附属中高が見える
 
主郭北側土塁上から横堀を見下ろす…
 右下の場所から、横堀に沿って少し歩いて堀底を見る… 主郭周囲の土塁から、主郭に再び降りて、虎口越しに副郭を見る… 
  
 東主郭先端の道を通り下の空堀へ進む…
 
 空堀の左、主郭側の土塁・壁を見ながら最初に入って来た出枡形へ進む…最初に入って来た場所に戻り、改めて東武野田線「増尾」駅方向へ
     
アクセス:東武野田線「増尾」下車 徒歩20分
 
                  

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