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馬坂城 茨城県常陸太田市天神林町 2019.4.3 訪問お知らせ

 ~ 築城主:天神林正恒 築城年:不明(平安末期?) 主な城主:天神林氏、佐竹氏、稲木氏 廃城年:慶長7年(1602) 主な遺構:郭、堀切、土塁、櫓台 常陸太田市指定史跡~
平安時代の末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫昌義は、久慈郡佐竹郷に永住し、佐竹氏を名のり馬坂城を築いた・馬坂城は、台地の先端部の約6000㎡の敷地を、三つの空堀で分断して郭を設けた平山城で、北を鶴ヶ池、西南を山田川に囲まれた自然の要害であった。
佐竹氏は、三代隆義が太田城(舞鶴城)に移り、その後の馬坂城には四代秀義の子義清が稲木氏を名のって居住したり、十四代義俊の子義成が天神林氏を称して居住した時代もあったが、慶長七年(1602)の佐竹氏秋田国替えにともない廃城をとなった。また、城内には、縄文時代前期の頃と見られる馬坂貝塚がある。
 
(常陸太田市が、現地主郭跡に設置の案内板「馬坂城址」より
佐竹寺の一角に設置の案内板「天神林お宝マップ(歴史の鼓動めぐり)」。高台の上に建てられている佐竹寺は、馬坂城の一角で、ここから西側の久慈川の低地の丘陵にかけて城域が広がる。佐竹寺は⑦、馬坂城跡は⑮の位置…
   
 佐竹寺の山門…  奥に、重要文化財の本堂が見える…茅葺で寄棟造り。
この本堂は珍しく北向きに建てられている…   馬坂城跡まで700mとの案内板が…  城跡まであと150m…
     
 小高い丘陵…この上に馬坂城跡  薬師堂が城跡入口の所にあった…
 間坂城跡の、碑と説明版…主郭部に当たる。  
     
主郭部から若干東南部に当時の堀らしい地形があった…
 
石塔山・西城跡方向へ進む…  主郭部から、堀を挟んで物見台的な場所の方へ行く…
     
 主郭の一角、西端付近に桜?
 
 「内堀と土塁」との標示柱があった…結構見事な土塁だ。  物見台的なところ…下から見上げる
     
 階段も整備されており歩きやすい…
 
二重堀切との標示柱…しかし付近にははっきりとわかる地形は分からなかった。  物見台的な小高い丘の上にきた…
     
 更に西方に進む…
 
 石洞山(もと石塔山)…西に伸びた尾根突端の見晴らし台。 頂上が見えてきた…
     
 灌漑用の鶴ヶ池が洪水になるとしばしば堤が切れた…復旧工事中に通りかかった鶴という女子を人柱にしたとの伝説がある。ふもとの供養塔がこれ!
 
ここにも土塁の残存が… 石塔山の山頂へ来た…間坂貝塚方向へは行かず、帰途に就く。
    
 最寄りとなる、谷河原駅に来た。無人駅である…御覧のように便数が非常に少ない。付近にコンビニもなし。
 
    
アクセス:JR水郡線「谷河原駅から直線距離で2.4km。時間節約のためにもタクシーを使用した。
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