よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 

黒羽(くろばね)城 栃木県大田原市黒羽田町  2015.7.23 訪問お知らせ

 ~ 築城者 大関高増 築城年 天正4年(1576)主な城主 大関氏 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 土塁、空堀、水堀 ~
黒羽城は、那珂川とその支流松葉川との間の丘陵部に構築された複郭居館型の山城であり、黒羽藩主大関氏(外様大名・1万8千石)の本拠であった。その規模は、南北約1,500m・東西約250m、面積約37.5haで、栃木県北部では最大である。本城を本拠に定めたのは、戦国武将大関高増であり、高増は、戦国争乱の深まりの中で、天正4年(1576)、白旗城から黒羽城に移った。同時に、白旗城内にあった大雄寺や帰一寺・新善光寺も、黒羽城内に移された。慶長5年(1600)の関ケ原合戦に際し、黒羽城主大関資増(高増子息)は、他の那須衆と同様に、徳川氏に味方して、黒羽城において上杉景勝の動きに備えていた。その際、徳川方から軍事援助(加勢の入城と武器供与)があり、また、黒門・中門・北坂門などが新たに設けられ、堀・築地が構えられるなど、黒羽城にも修築の手が加えられるところとなった。その後、大関氏は、一度の改易・転封もなく、近世(江戸時代)を通じて、明治4年(1871)の廃藩置県までの約300年間、黒羽城を本拠とし続けたのである。これは、関東の外様大名としては大田原氏と共に極めて異例のことであった。但し、黒羽城は、宇都宮・壬生・烏山・大田原などの諸城とは異なり、江戸幕府からは陣屋という評価を受けていた。廃藩置県によって、黒羽城は廃城となったが、本丸跡(黒羽城址公園)とその周辺を中心に土塁・堀などの遺構は比較的よく残存しており、城下町黒羽のシンボルともいうべき史跡である。黒羽城跡の公有地部分(本丸跡・二の丸跡・水堀跡・三の丸跡の一部)を対象として、黒羽町指定史跡となっている。今後も永く保存されていくべき貴重な史跡である。(南側の桝形と道路を挟み反対側にある駐車場のところにあった「史跡 黒羽城跡 会所跡」との標示柱の横にあった案内板「黒羽城跡について」より)
JR宇都宮線西那須野駅から東野バス黒羽行で終点・黒羽下車、下の地図の「現在地」の横の橋(真ん中の写真)を通り那珂川を渡り、一番右の写真の登山口へ行った。
 案内マップ…黒羽城は那珂川に面した河岸段丘上にあった。比高は約30メートル程度
  
 登山口・階段を登り城跡を目指す…やや急な通路を登っていくが、階段・通路はよく整備されていて、危険な個所はないようだ。
    
山頂近くに来ると、「自然歩道」と記した平坦な道に出た…
 
山頂尾根部分に出た…この空堀跡は、旧三之丸(現在は芭蕉の館、右の写真)と馬出の間を分ける空堀跡と思われる。  この階段を上がり城址公園に向かう…
      
馬出郭に到達…あじさいが周囲に植えられている。奥の方に本丸と隔てる空堀・橋が見える。 本丸空堀に架かる橋上から左側(本丸に向かって)の堀を見下ろす…
   
 こちらは、橋上より右側の堀底を見下ろしたもの。…本丸の東側に曲がって堀が続く
 
 右上の写真の北側に伸びる部分を撮影した…左上が本丸
   
 遠くに見えるのが馬出郭。橋を渡り本丸に入り、やや西側の土塁上から橋を見下ろすように撮影した。…深さは15mほど、幅は20m近くあろうか  本丸広場を見下ろす…奥に見えるのは能舞台のようだ
 土塁上を歩いて物見櫓(模擬)のような建物方向へ歩いた…
 物見櫓内部… 本丸広場より物見櫓を見る…
     
 望楼から本丸広場を見下ろす…
 
黒羽城跡…左の写真は、大関氏居館全図。 能舞台全景…
本丸から南側へ降りていくと、本丸空堀に架かる橋… 橋上から(本丸から見て)右側の空堀を見下ろす…
     
同じく、左側(北側)の堀を見下ろす…堀がクランク状に伸びている
 
桝形の周囲の土塁…  上の写真の土橋を渡り、桝形虎口を降りていくと、道路に面した虎口に…黒羽城址の石碑と黒羽城の由来の案内板(右下の写真)があった  
     
 黒羽町観光協会が昭和40年に設置の案内板「黒羽城の由来」
 
 道路に面した城跡入口…この道路はいわゆる大手道にあたる?  大手道を挟んだ反対側の駐車場にあった、案内板と「史跡黒羽城跡会所跡の標示柱 左に本丸・中丸(左下の写真)、右に旧二の丸にあたる体育館が…
道路を北方向に歩き、本丸の北の端の中丸的な場所の土塁が…  史跡 黒羽城跡 二の丸 (北城)…二の丸の出入口(虎口)にあたるのか?
 
上の写真の標示柱のところ…虎口?両脇に土塁が残っているようだ
広い道路に出たところの道標…高館城跡が遠くない 本丸の前の道路の反対側に残る水堀…
        
 道路を西に進むと、芭蕉の館の入り口に(旧三の丸)…
 
 稲荷社…ここも土塁の残存らしい場所があったが、写真ではよくわかりませんね 大雄寺方向に行く途中にあった、「黒羽城跡 土塁・水堀跡」の標示柱…実際の土塁・水堀跡は確認できず  黒羽城跡「黒門跡」の標示柱…
     
 黒羽山大雄寺…黒羽藩主だった大関高増が白旗城から黒羽城に移った際、白旗城内にあった大雄寺も黒羽城に移された
     
 黒羽小学校に移築された侍門… 那珂川の東側、芭蕉の館、黒羽城址公園、大雄寺など位置関係を見てください… 
     
侍門(武家屋敷の門)についての案内・説明板(上の写真のところにあった)…
 
アクセス:R宇都宮線西那須野駅から東屋バス黒羽行で約20分、終点の「黒羽」下車、そこから徒歩約20分で登山口
※「黒羽城 栃木県大田原市 ~廃藩置県まで約300年間大関氏の本拠~」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tubeのページへジャンプしてください!

ギャラリー