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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

小泉城(冨岡城) 群馬県邑楽郡大泉町城之内  2017.6.6 訪問お知らせ

 〜 築城主:冨岡直光 築城年:延徳元年(1489) 主な城主:冨岡氏 廃城年:天正18年(1590) 主な遺構:郭、土塁、水堀 
小泉城は、延徳元年(1489)冨岡主税介直光が縄張をしたことに始まり、以後冨岡氏6代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字型をもつ囲廓敷平城の典型で、県内でも有数の城跡である。本丸の水堀と土塁、三の丸の一部の水堀と土塁がかなり良好な形をとどめている。本丸北東隅の「櫓台跡」と西南隅の「折り」と櫓台跡は、正面、北面、西南面を防護する横矢櫓の備えを明瞭に残していて、戦国期城郭の特徴をよく遺存している。天正18年(1590)、小田原北条方に与していた冨岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに敗れ、廃城となった。(大泉町教育委員会が現地に設置の案内板「大泉町指定史跡 小泉城跡(冨岡城跡)より)
大泉町教育委員会が現地に設置の案内板より小泉城跡復元図を拝借、一部拡大。…東武小泉線の「小泉町」駅(右上の写真、無人駅)から、西方に真直ぐ、線路沿いに進むと右下の写真のところ(いずみ緑道との標示があった)に出た。この左側が小泉城跡がある「城之内公園」。北側の土塁、土塁上を歩き三の丸(北中学校)を経て、本丸を通り二の丸辺りに出て、再び小泉町駅に戻った。
    
 いずみ緑道の表示のある公園入口部分…右に東武線の線路が
 
 線路に沿った道を西に行くと公園へ上がる石段があった…  一旦公園内部に入り、再び、公園西側の入口に来た…左側に「小泉城跡」(右の写真)と「城之内公園」との標示がある入口
     
 縄張図の北端・東武線寄りの場所の水堀と土塁(左端の写真)、その大きな土塁を内側から見たのが右端の写真。
土塁上に上がって下の郭を見下ろす(左下の写真)…
     
 ここは本丸と右の土塁の間の郭に当たる…ここも二の丸の一部か?
 
 右上の写真の土塁上に上がった…右側は釣り堀?その向こう側には東武線の線路が  土塁上から眼科の郭を見下ろす…
     
左の写真の土塁上の道を西に進む…
 
下の郭に降りる…城之内古墳の背面と城之内の百庚申の一部が見える 城之内古墳…城之内3丁目の個人の敷地内にあったものを移築した由。築造時期は7世紀後半と考えられるとの説明が。
     
城之内古墳の説明板…
 
 「城之内の百庚申」…この百庚申は小泉城土塁跡一帯に江戸時代中期から明治時代にかけて造立されたものを昭和49年にここに遷座したもの、等々の説明が。
  
 北側の堀の「折り」になっている部分で、水堀状態になっていて葦のようなものが群生している…
 
再び、土塁上に上がり西方向に歩く…この先で左折して南方へ進む… この土塁は、右上の写真の土塁の手前の部分…水堀がフェンス越しに見える
  
 上の写真の続き部分…右側に壕が見える
 
 門を入りすぐ右側に北中学校(旧三の丸)…ここの土塁も残存している。ここは虎口か? 西端の土塁上から西側を見る…水堀が見える。この辺で土塁が切れるので下に降りる
西側の入口のところ…ここにも「小泉城跡」の標示が
 先程、この土塁の上を歩いてきた…ここで切れている 三の丸から、本丸を左に見て内堀に沿って東南方向へ歩く…
  
 中学校の前の土塁の端(東側)…
 
 本丸西の堀に沿って南側(三の丸)へ歩き、北側を振り返り見る…右が本丸   左の写真からの続き…西南角の部分か
  
本丸内に入る…本丸周囲の土塁上から見下ろす
 
 本丸と橋(下の写真の橋、おおてばし)を見る…  本丸内、南側にあった城址碑と何らかの石碑(文字は判読困難)… 
     
「おおてばし」と読める…こちらが大手口か?
 
アクセス:東武小泉線「小泉町」下車 徒歩10分
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