よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
 勝山城 山梨県都留市川棚 2019.3.20 訪問
 ~ 築城者 浅野左衛門氏重 築城年 文禄3年(1594年) 主な城主 小山田氏、浅野氏、秋元氏  廃城年 明暦3年(1657年) 遺構 郭、堀切、土塁、石垣、竪堀 山梨県指定史跡
勝山城は、文禄3年(1593)に浅野左衛門氏重によって築城されたと『甲斐国史』に記されている。当時、甲斐国には、江戸の徳川家康に対する備えとして、豊臣秀吉の一族浅野長政が配されていたが、浅野左衛門氏重は浅野長政の家老として、甲府城の前城となる勝山城を築城し、郡内地域の守りに当たったという。この勝山城は、居館である谷村城の要害城(非常時の場合立てこもる詰めの城)としての役割を担っていたいたといわれ、勝山城と谷村城とは桂川を挟んで内橋で連絡されていた。本城には、秋元氏の在城時に、宇治から江戸に運ばれる将軍家御用のお茶壷を保管する茶壷蔵が置かれていた。その場所は本丸の北側を下った北尾根付根の曲輪に推定されている。宝永元年(1704)郡内谷村藩主秋元氏が武州(現在の埼玉県)川越にに転封した後、勝山城は廃城となり郡内は天領として谷村代官のの支配下に置かれた。勝山城は、近年郡内領主小山田越中守信有が中津森の館が焼け、居館を谷村に移した時に、築城されたのではないかと考えられるようになった。小山田氏以降、城の主は左記のように(省略)目まぐるしく変わった。
(山梨県教育委員会が現地(登山口)に設置の案内板「史跡 勝山城跡」より抜粋)
富士急行「谷村町」駅…登山口まで徒歩約15分。  駅前にあった案内板…鉄道および桂川を挟んで「勝山城」がある。
登山口の手前、「桂川」にかかる橋…
「勝山城跡方向」との案内標示… 登山口…一応クマ出没注意の警告表示が このような、歩きやすい通路で、子供たちも来ていた…
登山道入り口にあった案内図より、縄張り図を拝借(抜粋)…右下の「現在地」のところから、内堀~川棚見張り台~帯郭~三の丸~二の丸~本丸~竪堀~大沢見張り台~焔硝蔵跡の順で回った。通路はよく整備されており歩きやすい。竪堀や土橋などもきれいに残る。
   
 川棚見張り台」…尾根の南端に位置する。眼下に、谷村城下町や桂川が見える。 「内堀」との標示。縄張り図を見ると二の丸・三の丸側の西端に連なる…
     
 内堀を過ぎて、なお暫し歩いて尾根上を目指す…左の写真に続く
 
 川棚見張り台の突端に来た…遠くの山並みがきれいに見える。また、眼下には谷村城下町。右端の写真はくっきりと富士山が。 
 三の丸だ…適当に整地されている。 山頂に近づく…
     
 山頂を見上げる…本丸部分が見える。
 
   三の丸からの通路…虎口の名残か土塁跡か不明。 帯郭との標示柱…さほど広くはない。
どの郭に来ても視界が広がる…谷村城下町が眼下に。
 
 二の丸に来た…  二の丸から富士山を臨む…
     
 二の丸を別の角度から…
 
この上が本丸(山頂部)…  山頂に、「勝山城跡」碑…後方には「東照宮」
     
 東照宮の右に見えるのは「本丸」の標示柱…
 
 本丸の、北側に、若干下に降りる通路がある。何ら標識はないが、縄張り図的には、大沢見張り台方向であり、暫く歩く。歩き始めると左側(本丸側)に野面積の石垣が見えてきた…右に拡大写真。このようにまとまった石垣・石積みは他では見当たらず…元々は本丸(主郭)周囲にもっとあったのだろう。
     
ここも歩きやすい道で、大沢見張り台方向へ歩く。
 
 本丸跡方向へ… 竪堀に来た…この真下に土橋が、そして左右に竪堀が。
     
 上の写真の続き部分…
 
 再度、富士山方向を見る…眼下には城下町と桂川が見える(筈)  堀底・土橋部分…
     
 土橋の手前の下に「帯郭」か…
 
 本丸広場に戻り、城下町を臨む…物見台的な場所でもある  本丸跡から、東方向を見る…奥に見えるのが硝煙蔵跡。 
     
 西側方向を見る…この下の通路を上がってきたら、結局本丸跡へ。
 
 「硝煙蔵跡」…縄張り図の上部、東側
     
硝煙蔵から本丸部分を仰ぎ見る…
 
アクセス富士急行「谷村町」駅から、徒歩約15分で登山口へ。山頂までは、そこから約20分。

 ※ You Tubeに「勝山城 山梨県都留市」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください…!

ギャラリー