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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  春日山城 新潟県上越市 2014.11.20 訪問
 〜 築城者 上杉氏 築城年 南北朝時代 主な城主 長尾氏、上杉氏、堀氏 廃城年 1607年 遺構 土塁、空堀 指定文化財 国の史跡 日本100名城 再建造物 毘沙門堂 別名 蜂ヶ峰城 〜
上杉謙信公の居城として知られる春日山城は、今から約600年程前の南北朝時代に築かれ、越後府中を守る拠点であった。その後、謙信公の父為景公・謙信公・景勝公の三代にわたり普請に努め、現在見られるような大城郭になったと考えられている。春日山城の特徴は、山頂の本丸跡から山裾まで連続する屋敷跡群と、裾野に巡らされた総延長1,200mの総構え(通称監物堀)である。関東管領として、関東・北陸に覇を唱えた戦国大名の居城にふさわしい大城郭と言える。なお、この辺りは、かつて空堀が掘られていた。(謙信公像の下の通路にあった、案内板より)
春日山神社の入り口近くにあった案内図…赤の蛍光ペン・黒の矢印で足跡を標示した。林泉寺入口でバスを降りて、その後は徒歩で、林泉寺→春日山神社→謙信公銅像→千貫門→空堀→直江屋敷→お花畑→毘沙門堂→護摩堂→諏訪堂→本丸→大井戸→油流し→天守台→御成街道→二の丸→三の丸→米蔵→大手道→埋蔵文化財センター→中屋敷バス停。  
 
 林泉寺入口バス停から少し歩くと、「春日山 林泉寺」の看板が… 上杉謙信公菩提所・越州春日山林泉寺の標識柱の間の道を進む… 謙信公銅像前・春日神社の標識…
     
春日山城跡 0.8kmの標示…  この惣門は、春日山城の搦手門を移築したものと言われているが、確証はない模様。林泉寺は謙信の祖父・長尾能景が創建、長尾氏とその子孫の上杉氏の菩提寺。上杉景勝が米沢に移った時に林泉寺も移転したので、米沢にも林泉寺があるとのこと。
 春日山神社の入り口階段、130数段あった。
公明正大・大義名分の標示が…?  階段を上り振り返る…
  
明治34年(1891)に、童話作家・小川未明の父である小川澄晴により創建された。
前島密も援助下とも言われているとのこと。山形県米沢市の上杉神社から文例した上杉謙信を祀る。
春日山神社のすぐ横の紅葉がきれいでした…
謙信公銅像…かつて馬場がった広場の上に建つ  毘沙門天・本丸への標識が見える
         
謙信公銅像下の広場…春日山城跡の説明板などがある
 
 謙信公銅像前の広場の、茶店の前の通路(この通路の左辺りが「空堀跡」とのことだが、識別できず)…紅葉がきれい  「毘沙門堂・本丸へ」の標識
     
お屋敷の説明…この下にお屋敷と呼ばれる大きな郭があった。 城跡登山道入り口…このような道が延々と続くが、比較的歩きやすい  
 
標識もよく整備されており、快適な登山でした
千貫門跡…門があったと思われる部分では土塁が分断されていて、春日山神社側からクランク状につながっている  階段を上がったところに、千貫門、空堀・直江屋敷への標示柱が…右の写真は空堀の法面 
   
 千貫門の内側に連続する2本の堀が造られている。ここでは堀の形に見せながらも、門から侵入した敵を沢に落とすように巧妙に仕組まれて道のように見える、との説明があ。真ん中の写真がその一つの堀だが、「塹壕址」との標識。右端の写真はその堀底を進むと、なるほど、急峻な崖から、沢につながっている。
 千貫門の内側から、空堀を見下ろす…
左、直江屋敷の標識…
 「搦手」の標示柱… 虎口…食違い虎口となっている  虎口から直江屋敷に続く階段… 
        
 虎口から階段を上がって、帯郭部分を見下ろす… 上杉少弼入道宅跡の標示柱(上杉謙信との説もあるが、麓に館跡もあり、ここは家臣の誰か?)
   
 「直江山城守宅址」の標示柱が見える。左の写真の下の道は、謙信公銅像前に通じる道…
 直江屋敷と直江家についての説明板 二の丸下の帯郭部分… 
謙信公銅像前の茶店が見える…こちらの方から上がるルートもある  毘沙門堂(復元)が見えてきた…  二の丸方向へ降りてみた…
     
 二の丸に一度降りた…再度、毘沙門堂方向へ戻る 毘沙門堂下の標識… お花畑址…各堂に献ずる華や薬草を植えたところとのこと
     
謙信が信仰した毘沙門天の尊像(青銅製、約50センチ)が安置されている。尊像は景勝公の時会津を経て米沢に移ったが、嘉永2年の火災で傷みました。昭和3年に第15代上杉憲章氏が東京美術大学に修理を依頼され、高村光雲先生が1年余を費やして修理しました。…との説明板がありました。  
     
偶々、お堂の清掃中だったようで、運よく内部を覗けました。
 
 不識院址…? 毘沙門堂下から「お花畑」を見る… 本丸方向へ歩く途中…右上に休憩所(その右上に護摩堂など)
     
護摩堂址…護摩堂は戦勝や息災を祈祷したところとのこと 諏訪堂址… 毘沙門堂址…
     
 本丸の標示柱と説明板…  伝天守台…右井戸曲輪・景勝屋敷
     
 本丸から直江津方向を見る…  
     
 天守閣址との標示だが、天守閣はなかったはず…  井戸郭…この大井戸は、廃城後400年経つが現在でも水を湛えている。  
     
 井戸郭から天守台址を見上げる…   「油流し」本丸の西の急斜面は「油流し」と呼ばれている。急斜面で滑りやすいからか…との説明があった 本丸から二の丸方向へ階段を降りていく…  
     
 二の丸の説明板…   二の丸址… 
     
二の丸から三の丸方面へ行く… 
 
 米蔵址の標示と後ろに見えるのが土塁…本丸の東側下の部分   三の丸の標示を見下ろす… 
     
米蔵址の土塁を別の角度から…  
 
上杉三郎景虎屋敷の案内板…   上杉三郎宅址の標示柱…   甘粕近江守宅址の標示柱と説明板
     
 春日山城大手道入口の標示…ここから春日山城に入ると最初に視野が開ける場所が番所です、
などの説明があった。一部大手道が復元されている由
 
    
アクセスJR春日山駅より謙信公銅像前まで、徒歩40分。直江津駅、春日山駅、高田駅よりバス便あり。
 ※「春日山城ー自然の地形を生かした要害」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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