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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

笠間城 茨城県笠間市佐白山 2014.1.7 訪問
お知らせ


  ~ 築城主:笠間時朝(ときとも) 築城年:承久元年(1219)主な城主:蒲生氏、宇都宮氏、蒲生郷成、牧野氏 廃城年:明治4年(1871年) 主な遺構:空堀、石垣、土塁、移築櫓・門 ~
佐白山は、「お城山」ともよばれ、市民に親しまれている。それは今から7百数十年の昔、鎌倉時代に笠間地方初代領主笠間時朝によって、16年の歳月を費やして築かれた山城があり、明治の初めまで約600年間、地方政治の中心地であったからでもある。城の地積は、およそ16,000平方メートルと推測され、天然の地形を巧みに利用して「三の曲輪」「二の曲輪」「帯曲輪」「殿守曲輪」を設け。曲輪には白壁の塀をまわし出入り口を城門で固め、要所には「穴ヶ﨑櫓」「八幡台櫓」「殿守櫓」を配置し、守るに易く攻めるに難い要害堅固な山城であった。今は苔むした石垣、礎石などが、ありし昔をしのぶようすが残るのみである。想いを江戸の昔にはせれば、緑なす木の間がくれに遥かの地から望み見た白の城壁、山頂に8万石の威容を誇るかにそそり立つ二層の殿守、それは典型的な山城であり、「桂城」とたたえるにふさわしい名城そのものであった。(笠間市が現地に設置の案内板より)
JR水戸線 笠間駅 駅前に観光案内所があり、「観光案内マップ」をもらった  笠間駅を降りて北東の方向へ歩いて約30分 途中に「笠間稲荷神社」があり、結構にぎわっていた… 笠間稲荷神社
     
浅野氏赤穂藩の国家老大石内蔵助良雄の屋敷跡…浅野長直は1645年に赤穂へ国替えとなった   笠間稲荷駐車場の横の登山道を登って下屋敷跡方向へ…  下の地図の、現在地から入り、稲荷駐車場・佐白山麓
から(地図の)左方向、「笠間城跡公園」方面へ山道を歩く
      
屋駐車場から少し歩くと、「史跡 笠間城主下屋敷跡」の標示柱が…  市指定文化財「時鐘」
   
左「つつじ公園」、右「城跡公園」の分岐の案内板   登りの山道が続く…歩きやすい 左、佐白公園、右、佐志能神社の案内
        
ところどころに石垣が残る…向こう側は保護(養生)中のようだ  ここにも石垣が残る
 
 二の曲輪だろう
 
二の曲輪は結構広い…周囲に土塁、及び空堀が見える
     
左、天守跡、右、山麓公園の標示 二の丸、前方に見える土塁の上部が展望台的になっており、筑波山などが臨める
 
右の標示の横にあった案内板にあった鳥瞰図…これで全体の位置関係が分かってきた  笠間市境域委員会が
設置の「笠間城跡」の石碑
   
天守台跡に続くが、残念ながら立ち入り禁止であった
 
笠間市教育委員会が設置の「立ち入り禁止」の案内…石垣が崩れ危険な個所があるためとの説明  立ち入り禁止のロープ越しに撮影…現在は土橋になっているが上の縄張り図では木橋のようだ 天守曲輪への橋の手前の門(上の地図では判読困難)の礎石と思われる
先ほどの、立ち入り禁止のロープのところからズームアップで撮影 「笠間城天守跡」の標柱が見える。この先に石垣、佐志能神社、築地塀があるはずだが…残念! 二の丸の周囲の土塁の一部
     
 二の丸の土塁上にあった、南側に見える筑波山(876m)はてっぺんだけ少し見えるはずだが樹木が鬱蒼としていて…
 
 この左側に筑波山などの眺望 史跡 笠間城八幡台櫓跡との表示柱…この辺が休憩所になっていた  八幡台櫓跡から本丸広場を見下ろす 本丸に下る階段…この先に天守曲輪
       
二の丸の端(二の門辺り?)の階段のところ…この先が大手門   階段を下り帯曲輪(?)へ
…石垣が雰囲気があっていいね!
 階段下りて左側にも石垣が ここにも石垣の一部が…
       
 大手門方向へ下っていく 下の方に、大手門跡に続く道路が見える  苔むした石垣…打ち込み萩ですかね!
       
 降りてみると自動車道路になっている 大手門に続く通路であった模様  笠間城大手門跡の標示
   
        先の自動車道路を横切り歩くと石垣が(上に自動車道路が見える) 石垣拡大…野面積みですね 
      
大手門跡から「千人溜り跡」方向へ土橋を超えて左に曲がると今は駐車場になっている「千人溜り」へ
 
 先ほどの土橋上から堀底を見る…  史跡千人溜跡の標示柱 現在は駐車場になっている…笠間稲荷駐車場からでもよいが、こちらの方がアクセスは楽かも  「笠間百坊旧跡」の標柱…笠間城の由来を見ると中世に、僧兵同士の戦いが
       
 千人溜りから大黒石方向へ行く… 大黒石とその説明  佐白山を後にして、移築された八幡台櫓を見るべく、「真浄寺」を目指して歩く
       
…下の地図の大石邸跡を右に曲がり、三所神社を過ぎて、愛宕町のバス停のすぐ隣に真浄寺の入り口の門が見えてくる 笠間保健センター、ふる川製菓が左に見えたら少し行きすぎ~ 茨城県指定文化財 旧笠間城櫓の石柱   同じく、旧笠間城八幡台櫓跡の碑 旧笠間城櫓…
       
 「明治13年に払い下げを受けた。以来真浄寺の仏堂として七面大明神、三十鬼子母神の三尊神が奉祈され親しまれている。しかし太平洋戦争にによって城郭建造物としては県内唯一のものとなったことから、昭和44年12月県教育委員会は保存必要と認め、文化財保護条例によって正式に県指定有形文化財に指定し、昭和47年4月県補助事業として大修理が実施され、昭和49年3月まで2ヶ年を費やして完成した」…との説明が左の写真の下部に記されている。
       
 真浄寺…日蓮宗、慶長元年(1596年)からの歴史あるお寺らしい
  
 笠間城跡から、大黒石、九ちゃんの家を経て真浄寺へ向かった ※九ちゃんの家は坂本九が先の大戦時、笠間に疎開していたころ住んでいた家があった。近くには歌碑、九ちゃん坂も…
   
交通アクセス:JR水戸線 笠間駅から徒歩約30分 
 
 ※ You Tubeに、「笠間城―石垣多用の中世山城」をアップしました!You Tubeのページにジャンプして、フォトアルバムをご覧ください! 

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