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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  唐沢山城 栃木県佐野市富士町 2015.1.10 訪問
 〜 築城者 佐野氏(佐野成俊、守綱の時期から築城、房綱の折に完成) 築城年 1200年頃築城開始、1590年頃完成 主な城主  佐野氏 廃城年 慶長12年(1607年) 遺構 空堀、土塁、石垣、井戸、枡形虎口 関東7名城国指定史跡 〜
唐沢山城は、佐野市の北、高さ240メートルの山全体をいい、往時の広さ550町歩と言われ、周囲を急崖にかこまれ、眺望は、関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父、南アルプス、秀峰富士、東に筑波と、まことに自然の要塞である。当社御祭神、秀郷公により一千年前の延長年間築城とされ、公はこの城を中心に、天慶の乱を鎮定し大功をたてられ、その功により鎮守府将軍として、関東はもとより奥州方面にまで威勢を張られた。その後700年間多少の変遷はあったが、公の子孫佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形を整えたとされている。関東7名城の一つに数えられ、中世の山城の典型としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の跡も見られ近世初期にまで下る整備の跡もうかがわれる。江戸初期、山城禁止令により、佐野市の城山公園の地に城換えとなって、唐沢山城の歴史が終わるが、明治になりから唐沢山神社が建てられると全山境内地となり、県立自然公園にも指定され四季折々の風景の中に、秀郷公以来の歴史が偲ばれる。(蔵屋敷跡・レストハウスのところに、唐沢山神社が設置の案内板、史跡 「唐沢山城」沿革より)
 余湖くんのホームページ、「唐沢山城(佐野市富士町唐沢山)」より鳥瞰図を引用させていただきました。これで縄張図がよくわかると思います。余湖くんのホームページに感謝!
 
蔵屋敷(現レストハウス)の横に設置の「案内図」 次の順に回った… 食違い虎口→天狗岩→大炊野井→四つ目堀→三の丸→二の丸→本丸→高石垣→南城→車井戸→金の丸→根小屋神社跡→鏡岩
 
東武佐野線 田沼駅…駅前には「唐沢山神社」の石柱があった。路線バスはないのでタクシーを利用した。コンビニはないが、山上のレストハウスで、ソースかつ丼や麺類、カレーライスが食べられる。  関東ふれあいの道の、案内図で、位置関係を把握…唐沢山神社が唐沢山城跡
     
北の避来矢(ひらいし)山と南の天狗山の間の出入り口にあたる。  レストハウス横からの眺望…  食違い虎口…前方が天狗山
食違い虎口…枡形になっている  天狗岩への階段…
    
 
 天狗山頂上…天狗岩  天狗岩から、西方、東京方面を見る…往時も物見台として使用していた
      
 天狗山から下の階段の方を見下ろす
 
  天狗岩から、西方、富士山を臨む…江戸城の火事を発見して、江戸まで駆けつけたところ、徳川家康に江戸城を俯瞰できる山城はけしからんと難癖つけられ(山城廃止令が出されたとの説もある)慶長7年 唐沢山城を廃し、佐野城へ移った…との説があるらしいが、実際のところは?
大炊(おおい)の井…直径9m、深さ8m以上の大きな井戸。築城に際して厳島大明神に祈請下との説明が。現在に至るも枯れることなく水を蓄えている。 
唐沢山神社への参道、鳥居が見える
神橋…四ツ目堀切に架けられた吊り橋だった。架撤自在と伝えられている由。  四ツ目堀に降りて堀底を歩く…   神橋を見上げる…
桜の馬場辺りか?大手道を歩く…  左、三の丸跡の標識…直進すると神社の参道へ 三の丸横の帯郭…
      
 三の丸から下の道路を見る…左の赤い幟は「和合稲荷神社」のもの 三の丸周囲の土塁…一部に石垣が見える
   
 三の丸の端の、土塁…  二の丸を見上げる…ここから見える細い道を登って、途中にあった石垣の名残に接近を試みる
ここにも石垣の残骸が… 二の丸に到着…周囲には石垣が残る
     
二の丸の神楽殿…  二の丸の、南側の石垣… 
  
 二の丸の石垣…この先に本丸高石垣
 
 二の丸の虎口…この先に見えているのが「武者溜まり」。後方の、神社への階段の横の石垣(右の写真)と併せて、枡形を構成しているように見える。  二の丸から表御殿方向(左側に本丸高石垣)が…
  
 左の写真の虎口部分を少し離れて撮影…
 
 唐沢山神社の拝殿への階段から見上げる…鳥居の横にも立派な石垣が 
 ”本丸跡”の標示。かつてはここに奥御殿があったとされている。…この唐沢山神社には藤原秀郷公が祀られている ”南局跡”…奥女中の詰所があった場所とか
 本丸から、下の”引局”を見下ろす…  山門両脇の石垣…
  
 引局から、鳥居越しに神社本殿を見上げる…
 
 神社本殿から、階段を降りる途中振り返り、石垣の写真を撮る…
  
 表御殿から高石垣を見上げる…  
    
 表御殿から社務所前を通り、南城跡へ 南城跡の説明… 南城跡からの眺望…富士山方向を見た
     
 社務所横の通路から”車井戸”へ…車井戸は、当時茶の湯に使用された井戸とか  左、お花畑、右 金の丸の標示板…  金の丸への通路…
     
 金の丸…当時金蔵のあったところとか お花畑(長門丸)〜武者詰め(引局)を経て避来矢山山頂に着いた。藤原秀郷公が百足を退治した時に、龍神より贈られた鎧にその名を発しているとか…この霊廟は唐沢山神社に功績のあった人々を祀る避来矢山霊廟 
     
 避来矢山頂〜下へ4段の腰郭になっており、下の写真野左から右へ、1段づつ降りてみた… 1段降りたところ…   2段下の腰郭…
     
3段下の腰郭で・この辺に組屋敷があったと思われる…  4段下の腰郭…
       
 ここを降りていくと、最初に見た大炊井の方向へ…
 
 レストハウスに戻り、そこで昼食、ソースかつ丼でした…950円 鏡岩…上杉謙信が攻めてきたときに岩が鏡のように輝き目をくらませたとか。でも、そんな風には見えなかった! 
     
 レストハウスから鏡岩ハイキングコースに入り、数分歩くと鏡岩が…
 
アクセス東武佐野線 田沼駅下車 徒歩60分あるいはタクシーでレストハウスまで約1,200円(訪問時)。田沼駅前にはタクシー営業所有。
 ※「唐沢山城ー栃木県佐野市 〜関東屈指の高石垣山城〜 関東7名城のひとつ」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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