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観音寺城 滋賀県近江八幡市安土町 2017.11.22 訪問お知らせ

  ~ 築城主:六角氏  築城年:室町時代  主な城主:六角氏 廃城年:天正7年(1579) 主な遺構:郭、土塁、堀切 国指定史跡 ~
宇陀源氏の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護をほとんど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。南北朝時代に佐々木氏頼が観音寺に布陣したことを、「観音寺ノ城郭」と『太平記』に記されたのが初見です。その後、観音寺城が当主の居住する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井、伝池田丸のあたりと考えられます。これらの郭は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁が郭を囲んでいます。昭和45年の発掘調査では、茶器や中国産の陶磁器などが豊富に含まれていました。永禄11年(1568)に織田信長が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(しょうてい)・義治親子は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城しました。そして天正7年(1579)に安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。
平成26年より、豊かな杜づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行いました。また整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行われており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。観音寺城跡の素晴らしさを知っていただき、これを後世に伝えていくために、多くの方に、観音寺城跡を訪れていただきたいと願っています。
観音正寺入口にあった案内板より抜粋…案内板制作 豊かな杜づくり隊 資料作成 松下浩(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課城郭調査係)
JR琵琶湖線 能登川駅…ここからタクシーを利用した(バス便もあるが便数が非常に少ない)  この観音正寺の石碑の手前に駐車場有り、ここから徒歩約10分位か…  観音正寺入口に行く途中にあった標示…「日加田屋敷跡」(伝 日加田丸か)
       
 舗装道路を暫し歩く… 観音正寺手前にあった立派な石垣…権現見附と呼ばれる「見附」か
 
 観音正寺入口の案内板より縄張図を拝借…主な散策ポイントを緑字の〇で示した 山門を持たない観音正寺の門固めの仁王像… 
     
奥の本堂方向へ進む…紅葉がきれいだった!
 
 観音正寺境内に入って、本堂の少し前に「観音寺城」方向への道標が…  手前方向が、観音正寺からの降りてきた通路…ここの石垣も立派である
     
 一旦少し降りて、まっすぐ進んで歩く…右の写真に続く
 
右ここで左に曲がって、本丸跡方向へ進む…  上の写真から、ここの登山道に続いて…下の写真の道標に
  
 「観音寺城本丸跡」まで150m…
 
右上の写真の場所から、この通路を通り本丸跡への大石段方向へ行く…  雑草が生い茂る、本丸に通じる大石段を上がる…
     
 この分岐の左が本丸跡方向…直進は桑実寺
 
 右上の写真の階段を上がりきって、更に、少し階段を上がると、この下の写真の「本城跡」の碑のところに出た…いわゆる本丸広場ですね。本丸の面積は約1,950㎡ほど。発掘では瓦が見つかっていないことから本丸御殿は、檜皮、茅葺ではないかと推測されている。 
     
 左下の写真のところから西方を見る…
 
 西の端の土塁っぽいところ… 本丸の東北方向の石積の残存か…
     
 右上の写真の北東方向への続きの部分…
 
 本丸北東隅の喰い違い虎口?…搦手口にあたるか? 本丸周囲(北西側)の石積み…
     
 上の写真の延長部分…
 
ここを直進すると桑実寺方向…ここから先は有料区域でもあり、戻ると、すぐ下に「井戸跡」があった(右の写真)
    
 伝平井丸を目指して西の方向へ…
 
本丸から、一段下の平井丸に入ってすぐ、この門跡に遭遇…大木が倒れ掛かっており狭くなっているようで、ここを潜るのをやめて先ずは池田丸を目指した。  本丸から、平井丸方向への通路…
     
平井丸の郭に降りてきたところ…左端に小さく門跡(左の写真)が見える
 
 平井丸を見渡すと、ところどころに小さな石積みの山が見える…何だろう? 伝 平石屋敷跡 一般情報では単に「平井丸」のみの表記…面積は約1,500㎡。
  
ここも、平井丸の内部だが、この石積みは?土塁的に郭の端に石積みがあるのか?
 
 平井丸から一段下の落合丸に続く虎口(落合丸側から見たもの)。観音寺城を紹介する際に、よく使われる石垣・石段… 平井丸内の、石積み…これは何だろう?
     
 平井丸の端(北側)の一段下の郭(腰郭?)的なところを見下ろす…
 
平井丸の一角… 平井丸から、西側に一段下がったところの郭…落合氏屋敷跡
 この虎口はいわゆる「宮津口見附」とされる場所か。宮津道から続く城門・虎口であったらしい。現状は、藪・崖状態であった。
 
     
 ここも平井丸の北側の端の部分か?
 
 落合氏屋敷跡に降りて、東南方向を見る…  北方向に門跡らしき石積みがあった…しかしこの先は崖状になっている
     
一段下の腰郭的な場所を見下ろす…
 
 落合氏屋敷跡から、更に西方向に一段下がって池田丸方向を目指す… 本丸から平井丸に降りて左側に見た「門跡」を、落合氏屋敷跡側から改めて見る… 
     
 右の写真の場所から、振り返って入ってきた階段方向を見る…
 
落合氏屋敷跡から、西方に降りていく途中に、通路の中央に写真のような石積みがあった(左端の写真…何だろう?)…  更に西側に降りていく…
     
池田丸手前の削平地…既に、池田丸の東端に入っているのだろう。この広場の周囲には石積みを伴う土塁が見られる。 
     
伝池田氏屋敷跡の標示柱がある広場に出た…かなり広い 
 
池田丸の北側にも、城門・虎口の遺構らしい石垣があった。しかし、この下は藪・崖状態… 池田丸の広さは、本丸よりやや広く約2,000㎡と言われている。 
     
 観音寺城大石垣への道標が池田丸からの出口方向に見える…
 
 池田丸の周囲の土塁・石積み…  
     
これは北面の土塁・石積みか…
 
 矢印に従って大石垣を目指した… 先ず下の段に降りる… 前方が開けてきて、眼下に新幹線が見える…ロッテの工場もあった
     
 樹木に付けられたリボンを頼りにもう少し降りる…  眺望が開けてきて、道らしいところに出た…その先は、ちょっとした削平地で木々が伐採されていて、よく整備されている。 
     
物見台的な台状の端に来た、この下の方に「大石垣」があると聞いたがよくわからなかった…  右上の写真のところから、歩いていくと巨石がごろごろしているエリアに出た…この辺が女郎岩か?  
     
 これらの巨石は何だったのか?
 
アクセス:JR能登川駅から、バスで観音寺口下車、徒歩40分。タクシーで観音林道から観音正寺入口の駐車場まで行き、そこから観音正寺迄徒歩約10分。
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