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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

金子山城 埼玉県さいたま市西区高木 2015.3.3 訪問

〜 築城者 金子彦十郎 ? 築城年 室町時代  主な城主 金子氏、高野氏 廃城年 ? 遺構 空堀  現況 淡島神社跡・畑地など  〜 
 築城者は不明だが、武蔵七党の村山党の金子一族の城と言われていて、金子彦十郎が築城したと伝えられている。河越氏と争って敗れて滅亡したと伝えられている。近世では、豊臣家臣の高野隼人がここに陣屋を構えたと言われている。JR川越線指扇駅から西大宮バイパス沿いの扇通りを西方へ歩いたが、なかなか見つからず。目印の淡島神社自体が知る人が少ないうえに、現状は、鳥居もなく、社も見当たらず、神社があったと思われるところは、地鎮祭を行ったと思われる痕跡があった。神社跡のすぐ西には空堀跡と思われるところがあった。若干改変されているが痕跡は確認できた。たまたま金子山城にゆかりのお宅の方に会えたので、場所の確認と改変された状況も聞くことができたが、鳥居もなくなっており、今後何ができて、どのようにこの地が変わっていくのか気になるところ。
JR川越線指扇駅北口…ここから徒歩約15分で城跡へ  指扇病院を目ざして北へ、西大宮バイバスを超えて、扇通りを右折し少し歩くと、遠くに、何かそれらしき場所が見えてくる…扇通りから望遠で撮影 
 
指扇駅2階デッキからロータリー工事中の北口を見下ろす…
神社跡に来てみたが、鳥居もなく、社もない…幟を掲げる石柱は残っている 扇通りから北の方向へ進み、民家のある角のところで左折…右に土塁のような土手が見えるが、土塁ではなさそう
     
 柱の間を通り進んでいくと…木で枠が作られており、ここに何かを建てるようだ(後方には地鎮祭をやった後のような残骸が…)
 
 神社跡の西側の空堀(横堀)らしく見えるところ…手前はトラックも入れそうな切通になっている
   
北側の竹藪…堀跡か腰郭跡か、あるいは何でもないのか不明  すぐ上の写真の反対側部分…遠くに西大宮イパスが見える
     
 
神社の裏手の径を東側に行くと、このような竹藪に。何も確認できなかった…この辺にも濠の跡がある筈だが不明  空堀の名残? この場所が、切り開かれて土も新しく見える…奥に青い屋根の建物が見える
     
 再度、神社跡の横の堀らしきところに上がる。…  青い屋根の建物に近づいた…中に神社関連のものが安置されているのか? 
 神社跡のすぐ東側部分。民家のすぐ裏庭部分だが、かつては郭?  神社跡から、西大宮バイパス方向(南側)を見る…何かを建てる木枠が見えますね
     
 扇通りへ戻る途中の民家の前の土手…これも城の遺構ではなさそう
 
アクセス:JR河越線「指扇」駅から徒歩約15分…バス便もある
                                              

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