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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

金山城  群馬県太田市  2013.3.26 訪問お知らせ

 〜 築城者 岩松家純 築城年 1469年 主な城主 岩松氏、由良氏、高山氏ほか 廃城年 1590年(天正18年) 遺構 石垣、土塁、堀、井戸 指定文化財 国の史跡 日本100名城(17番)「関東7名城の」のひとつ 〜
 金山城は、東西約3km、南北約4kmで高さ239mの金山丘陵のほぼ全域にわたり築かれた戦国時代の山城。1469年に岩松家純によって築城され、下克上によって城主となった由良氏の時代に全盛期を迎えた。上杉謙信や武田勝頼などの有力戦国大名から10数回に及ぶ攻撃を受けたが、金山城は一度も落城することがなく、その堅固さを誇った。当時関東では珍しかった石垣を多用した難攻不落の山城として注目されてきた。しかし、小田原北条氏の謀略によって支配下となっていた1590年、豊臣秀吉の北条征伐により金山城は廃城となった。山頂実城域の新田神社では、新田義貞が祀られている。太田市では平成6年度から12年度までを第1期整備事業を実施した。平成18年度からは第II期整備事業を実施し、見附出丸や西城周辺の整備を終えた。現在実施しているのは、太田口に完成したガイダンス施設と実城域(月の池)を結ぶ太田口周辺整備事業で、昨年に引き続いて3年目の調査となる。(太田市教育委員会文化財課発行の各種パンフレットより抜粋・編集)
登城口…ここから登って行くのですがここまでは車で来られます。太田駅から歩くと40分〜1時間かかります。バスはなし! 登城口のところにある案内図。
この地図の左下のほうの赤い印(現在地)から右のほうへ歩く!
    
 このような緩やかな道が続い
ていて大変歩きやすい。
よく整備されている。
 
西矢倉台西堀切。本丸まで
4か所ほどある堀切のうち、
一番西寄りのもの。
堀切にかかる橋。勿論復元もの。 堀切にかかる橋の上から撮影
     
堀切…岩盤を切り崩したもの 西矢倉台下堀切(本丸までの2番目の堀切で規模は小さい
      
物見台下虎口と土橋 
 
土橋を渡り反対側から土橋側をみる 堅掘 堅掘りの脇には石垣があり
堀の底には通路があった
堅掘りにかかる橋から堀の底を見る
     
物見台の横の土塁 掘立建物跡。岩盤をくりぬいて
柱を立てた簡単な建物跡
岩盤斜面際の礎石石列は発掘調査で
確認された実物(柱間の木材は補強のため整備場取り付けられたもの)
     
大手口馬場跡。山城と言えども
通信用などで馬は必要だった
物見台 金山城の周囲を見渡せる 物見台のあるところで、
三角点が見える
     
大堀切 これでは分かり
にくいがかなり深い
三の丸下堀切(右側) 三の丸下の石垣
     
先ほどの大堀切を月の池側から見る
大手虎口の前にあるため長さ約46m、幅約15m、深さ約15mと大規模に作られている。
月の池ー城の中心部への入り口脇にある。月の池の底は粘土層になっていて谷斜面からの表流水や新陶酔がたまるようになっていた模様
      
 月の池
 
大手虎口 重要な場所であり、
門、柵、堀、土塁などで厳重
に守られている
調査で発見された石段
をそのまま残した由
大手虎口の通路で、月の池脇からの
正面土塁までの大規模な構えとなっている。横矢を射るために築かれた環状の土塁があった
     
井戸  石敷き遺構展示施設 武器庫兼兵の
詰所だったと思われる。 
日の池 山の上では稀な大池であり、金山城における象徴的な場所に一つで、単に、生活用水を確保した場所ではなく戦勝や雨乞いなどの祈願を行った儀式の場所であったと考えられる。 
     
三の丸手前の石垣   実城(みじょう)へ向かう通路  
     
 石垣改修の露出展示 5階も石垣改修工事を行っている跡が見られる
 
実城(本丸)手前から見下ろす
(手前に日の池が見える) 
新田神社の入口鳥居から
太田市街を見る 
金山城石垣 当時のままで
     
石垣拡大写真…雰囲気が  石敷き遺構展示施設を下から見上げる  あちこちで発掘調査中…
     
大手口馬場の碑  馬場下曲輪  物見台手前の石垣 
     
大けやき 推定樹齢800年
ほどと言われている 
本丸の天守曲輪と呼ばれる場所にには
現在、新田神社が… 
史跡金山城址の石碑と、
金山城主の系図 
     
アクセス:東武鉄道伊勢崎線から徒歩40分位か?この地図では城址の表記がないが、
三枚橋駅の右側金山総合公園のすぐ下の部分が金山城跡      

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