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岩槻城 埼玉県さいたま市岩槻区 2013.6.25 訪問お知らせ


 ~ 築城者 太田道真・道灌 築城年 1457年 主な城主 太田氏、北条氏、青山氏、阿部氏ほか 遺構 郭、土塁、空堀 ~
 岩槻城は室町時代に築かれた城郭で、築城者は太田道灌とする説、父の太田道真とする説、そして後に忍城主となる成田氏とする説など様々である。16世紀の前半には太田氏が城主となっていたが、1567年三船山合戦(現千葉県富津市)で太田氏資が戦死すると小田原城の北条氏が直接支配するところとなった。北条氏は、その後、豊臣秀吉と対立し、やがて1590年5月20日からの豊臣方の総攻撃を受けた岩槻城は2日後の22日に落城した。同年、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすと徳川家康が江戸に入り、岩槻城も徳川の家臣高力清長が城主となった。江戸時代になると岩槻城は江戸北方の守りの要として重要視され、幕府要職の譜代大名の居城となった。室町時代から江戸時代まで続いた岩槻城であったが、明治維新後に廃城となった。(教育委員会が現地に設置の案内板より抜粋・編集)
現在は右下の方の新曲輪、鍛冶曲輪が城址公園として整備されている。 東武野田線岩槻駅 改修工事中でH26年度中に完成の予定!
    
 1671年に岩槻城主阿部正春公が造らせて、城下の人に時刻を知らせた現在は1日3回(朝6時、正午、夕6時)搗かれている。
 
「大手口」の石碑と右側には「諏訪小路」(昔の武家屋敷) 大手門跡の表示が右側のフェンスに 久伊豆神社 先ほどの地図の上のほうに表示が。この横に中央公民館温水プールがある
 久伊豆神社の標識の交差点を城址公園方面に曲がる。この右方向が本丸(今は住宅街)  岩槻城址公園の看板が 長屋門形式の通称・黒門  
土塁、空堀などの位置を色分けして説明している。今は埋め戻された障子掘りの跡があるはずだが発見できず…
 黒門の傍の土塁。ここから沼地(池)方面へ 
沼地を利用した池に掛かる橋、八つ橋   
    
 岩槻城の城門、裏門と伝えられるが城内の位置は明らかではない。間口約3m、奥行約2m,薬医門形式。
 
 岩槻市指定の有形文化財 真横から見たところ   裏門近くの土塁 
新曲輪と鍛冶曲輪の間の道路。左右に堀切があり。  左の写真の道路を挟んで堀切が 新曲輪内部の空堀を上から見下ろす。かなり深い。
新曲輪の石柱標示 鍛冶曲輪方面への通路
 白鶴城址碑の石碑(岩槻城の別名は白鶴城、岩付城、浮城)  鍛冶曲輪  
       
 鍛冶曲輪の東側、元羅川方面の堀。今は水路になっているが、かつては湿地帯につながる水路(堀)?   道灌橋 手前が鍛冶曲輪  再び池に…
       
 愛宕神社(岩槻駅近く)神社の創建は明らかではないが江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されている。太田氏が岩槻城を造るに当たり城郭として外堀と土塁を造った。 するとその傍らに小さな祠があり、土塁上に移し祀った。 岩槻城大構えについての説明当時は8kmに及ぶ堀がめぐらされていたが、今やこの愛宕神社に残るのみ
       
アクセス:東武野田線「岩槻」または「東岩槻」より徒歩15-20分

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