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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

岩国城 山口県岩国市横山  2014.6.26 訪問お知らせ

 〜 築城者 吉川広家 築城年 1601年 主な城主 吉川氏  廃城年 1615年 遺構 隠居所長屋、石垣、水堀 再建造物 天守、旧天守台(発掘復元) 日本100名城 〜
戦国時代の末期、中国地方のほとんどを領有し、112万石の大大名となった「毛利氏」も、「関ヶ原の役」ののち、防長2国に減封され、出雲の国富田城(12万石)にあった「吉川広家」も岩国3万石(のち6万石)に転封されました。岩国藩は271年の間、藩政の方針として、文武両面の振興と人材養成、文化の向上につとめ、なお、2,000余町歩に及ぶ大干拓を行い、産業の振興、勤勉貯蓄の美風に務めました。岩国に移った吉川広家は、要衝の地横山の山頂に要害を、山麓に居館を築くことにし、1603年に山頂の起工式を行い、1608年に岩国城が完成しました。横山の三方を迂回する錦川は天然の外堀で、川向うに町を割を行い、城下町が形成されていきました。緑の山頂にそびえる白亜の天守は、3層4階の上に物見を置くという、桃山風南蛮造りの山城で、藩の象徴として仰がれていましたが、1615年、幕府の「1国1城令」により完成からわずか7年で破却の運命に見舞われました。(入城時入手した岩国市が作成のパンフ「岩国城」歴史の風薫る城下へ より抜粋・引用)
 ロープウェイ山頂駅付近にあった案内図。錦川を跨ぐ錦帯橋を渡りロープウェイ乗り場まで来て、城山を目指した。
 
錦帯橋越しに見える岩国城  ロープウェイから山麓駅を見下ろす   遠くに山頂駅が見える
  山頂駅  城山案内図 左側の山頂駅からm大釣井経由、北の丸広場、天守閣へ行き、
損後二の丸跡、大手門跡、出丸を通り山頂駅へ戻った。
   
  山頂駅を降りると、すぐこの案内標識が(岩国城まで300m)
 
 岩国城天守閣300m の標示 車も通れる広い道…左が岩国城
分岐が…平坦な道を選ぶ  大釣井(おおつるい) 本丸の西下にある。山上部の主要な水源であった。
 本丸と北の丸の間の空堀…でかい堀(幅20m、長さ約60mとか)だがかなり荒れていて、堀底には石垣の一部が残っている(放置されている) 北の丸広場…現状は児童遊園?
  
 空堀の一部
 
北の丸周辺散歩道  北の丸広場の淵の部分より下を見る
本丸に通じる道 石垣の石が… 空堀に架かる木端…東矢倉跡が前方に
左に先ほどの木橋が見える  東矢倉周囲の土塁部分…石がごろごろ
 東櫓跡から本丸への道  本丸の展望園地部分 展望園地から天守閣を見上げる
     
 天守閣前の広場  この先に旧天守台 旧天守台
     
 天守閣…右側に休憩所・トイレ 旧天守台 復元、その下が
修復部分で、最下部が現存の石垣群
 
旧天守台の説明
 
 城郭案内図 本丸にあった案内板より。天守閣に登った後に、二の丸跡〜出丸跡へ向かった
 
 天守閣の上部  旧天守台 発掘調査結果をもとに積みなおされて天守台
 
  天守閣より錦川・錦帯橋を見る
天守閣より、本丸の
休憩所を見下ろす
 天守閣 天守閣下部の石垣と二の丸ひろばへの標識
 天守内部資料展示より 二の丸に行く途中の石垣
    
 大手門跡?
 
 二の丸から出丸部分への階段  出丸 下へ降りて山頂駅の方向へ行く
 二の丸南西隅の矢倉台  ロープウェイ山頂駅への道…
山麓駅から吉香神社へ向かう  橋の上から錦雲閣を見る  吉香公園…藩主居館跡
     
 吉香神社  吉香神社の説明…国指定重要文化財 神門は、小型の四脚門
     
 拝殿…入母屋造妻入り  錦雲閣 旧藩時代には3階建ての矢倉があったところで、
明治18年居館跡が公園になったとき、この絵馬堂が建造された
     
錦雲閣内部 錦雲閣…登録有形文化財
      
 
 国指定重要文化財 旧目加家住宅…江戸時代中期の駐留武家屋敷
     
 吉川資料館…吉川家に伝わる太平記、吾妻鏡などの所蔵品を収蔵  岩国市指定「昌明館附属屋
及び門」の説明
     
アクセス:JR西日本山陽本線岩国駅からバス約20分、錦帯橋下車、徒歩約5分で、ロープウェイ山麓駅へ。山頂駅まで約3分。
※「岩国城ー山口県岩国市」をYouTubeにアップしました。You Tube のページ(こちら)からご覧ください
                  

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