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伊勢神戸城 三重県鈴鹿市神戸本多町 2013.7.31 訪問お知らせ

 伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町の地に沢城を築いたが、戦国時代の1550年には、この地に神戸城を築いて移った。神戸氏7代目友盛は、北勢に威を振るったが、信長軍の侵攻により永禄11年(1568)その3男、信孝を養子に迎えて和睦した。信孝は、天正8年(1580)ここに金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築いた。しかし、本能寺の変後、岐阜城に移り、翌年秀吉と対立して知多半島で自刃し文禄4年(1595)には天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通じて天守閣は造られず、石垣だけが残された。江戸時代、城主は一柳直盛、石川氏3代を経て享保17年(1732)本多忠統(ただむね)が入国する。本多氏の治世は140年間7代忠貫(ただつら)まで続き、明治8年(1875)城は解体される。その後、堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となった。天守台や石垣に悲運の武将を偲ぶことができる。(鈴鹿市教育委員会が現地に設置の説明板より)
神戸城の縄張り図 本丸の一部が公園となっていて、本丸を取り囲んでいた堀の一部が残っているが、この縄張り図からはかなり幅の広い堀だったようだ。 二の丸跡に現三重県立神戸高校が建てられている。
        
史跡神戸城址の碑 
 
神戸高校西側の神戸城公園入り口近くから本丸広場方向に入って、南側の本丸周囲の土塁を見る。…この先が堀になっている。 
 
同じく本丸周囲の土塁 本丸より天守台を見る 本丸広場
  
 横の階段から天守台に上がる  
   
天守台上から本丸を臨む 天守台にある休憩所 もちろん現代のもの。右に碑がある。アップで撮影したものが次の写真   明治9年10月設置の
「神戸城址天守…」の石碑
天守台より北側を見下ろす
上端・隅角部は近世に積み直しがされているが、未加工の自然石を使用していて、石塔類の転用が見られる。…しかし写真では判別できないのは残念!   ここから、色んな角度から撮影の石垣を掲載!!
       
 織田信孝は神戸城の修築を実施し、五重の天守を建てたとされる。天守は石垣からの高さが約20Mとされるが不詳。
文禄4年(1595)に桑名城に移築された櫓がこの天守とのこと。   
       
本丸の北側の堀を左回りに回った。 縄張り図の千畳敷辺りが出発地点になるのか… 
縄張り図から判断しても現在の堀(?)の幅はすごく狭い! 
       
       
アクセス:近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から徒歩10分位

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