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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

五十子(いかっこ)陣 埼玉県本庄市東五十子・西五十子付近  2017.5.8 訪問お知らせ

 ~ 築城主:山内上杉氏 築城年:康正元年(1455)頃~文明9年(1477)まで…享徳の乱開始(享徳3年、1454)~五十子陣の崩壊(文明8年、1476)。この間に築城されたと思われる。 主な城主:山内上杉氏(関東管領) 廃城年:文明8年(1476) 主な遺構:なし 
本庄市の東側の国道17号線(旧中山道)から南側の五十子地区からJR高崎線を超えた辺りの西五十子ちく辺りまでの、おおよそ東西2km弱、南北1km位の広範囲にわたっている。利根川よりも東側を勢力圏とした古河公方足利成氏(しげうじ)方と、利根川より西方を勢力圏とした関東管領上杉氏方の争いになった享徳の乱(1454~1477)の折に、上杉方が本陣として、五十子陣を構築した。陣を主に構成していたのは、守護管轄下の武士をそれぞれ動員した、越後・山内(やまのうち)・扇谷(おうぎやかつ)の各上杉氏によって構成されえていた。文明8年(1476年)6月に長尾景春の乱が勃発したことから、上杉方は糧食を絶たれて、上杉方は撤退した(『松陰私語』)…(『関東の名城を歩く 南関東編 峰岸純夫・斎藤慎一 編』を参考資料として、また、一部抜粋引用させていただいた)
 JR高崎線「本庄」駅北口(右上の写真)から東方向、国道17号線を通り、深谷市との境界付近の五十子陣があったといわれている地域を目指した。当時の陣の北端辺りといわれている、「女堀川」(おんなほりかわ)を渡り、東五十子地区へ進む…
  
 左の写真の女堀川に架かる橋上から北側の川筋を見る…
 
 西五十子地区に入る…  高崎線に沿った県道「花園本庄線」を小山川に架かる泉沢橋に来た…泉沢橋の上から北側を見ると本庄市の「ごみ処理施設のクリーンセンター」が見える。この辺まで旧五十子陣跡だと思われるが、何ら遺構はないようだ。 
    
 小山川クリーンセンターと湯かっこへの道標…右の写真にてこれらの施設のある建物が見える。
 泉沢橋(右下の写真)を越えて深谷市側に入ると、東京電力の巨大な変電所(新岡部変電所)が目の前に…この辺も五十陣の一部かと思われるが、ここも遺構の名残はない。しかしこんなデカイ変電所を間近に見たのは初めてだが被写体としては面白いですね! 
     
小山川に架かる泉沢橋の西端…
 
 泉沢橋から再び本庄市側に戻り、小山川の左岸に沿って北側へ、小山川遊歩道を一の橋方向へ歩く。真ん中の写真は、本庄市のごみ処理施設の隣の公園のような場所…土塁っぽく見えたがそんなことはないだろう。右端の写真は、遊歩道の先の17号線と交わる場所に架けられている「一の橋」が見える場所。
 「一の橋」に到着少し前(右の地図の現在地近く)に、右(東)方向を見ると、遠くにビジネスホテルのような建物が見えるが、こちらが探している目印になるホテルではないようだ…ネット情報では橋の西側とあったが、既に無いのか見つけられず…その傍には五十子陣を示す「ほんじょうかるた」もある筈だが、矢張り見つけられず…  
     
 17号線を左(西)に入り、ひたすら目印となるホテルと「ほんじょうかるた」の石碑を探して歩くと、すぐ左に土塁のような場所が(これも違うようだ)…
 
 この茶屋が、五十子陣があったといわれている場所近辺…特に遺構を思わせるようなものは確認できず   女堀川に架かる「二の橋」…17号線上
     
この辺も、五十陣跡の一部か?
 
 アクセス:JR高崎線「本庄」駅より徒歩約30分位で陣の北端部分(女堀川岸)に到達…

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