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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  名護屋城 佐賀県唐津市 2014.10.15 訪問
 〜 築城者 豊臣秀吉 築城年 1591年 主な城主 豊臣氏 廃城年 1598年 遺構 石垣、空堀 指定文化財 国特別史跡 日本100名城 〜
今から約400年前、全国統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして1592年〜1598年にかけて文禄・慶長の役(壬申・丁酉倭乱、じんしん・ていゆうわらん)を起こしました。この時、秀吉が配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城です。総面積約17万uに及ぶこの巨城と各地から参集した大名の陣屋の跡は、「名護屋城跡並びに陣跡」として、国の特別史跡に指定されています。特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、安土桃山時代の文化、建築、生活などを知ることのできる貴重な文化財であると共に、日本と東アジアの国々との不幸な出来事を語り伝える歴史の証人でもあります。当時では大阪城につぐ規模をもっていた名護屋城の構えは基本的に三段の渦郭式といえるもので、天守台のある本丸を中心に二の丸、三の丸、弾正丸、東出丸を置き、北方下段には遊撃丸、水手曲輪、さらにその下段に山里丸と台所丸を配置しています。門は、水手口ほか5か所あり、北面には通称鯱鉾池と言われる堀もわたしています。(平成5年3月 佐賀県教育委員会が設置の案内板より)
名護屋城観光案内所から大手口を入る手前にあった案内板よりの、下記の縄張り図を抜粋。この図の、現在地のところから大手門跡〜東出丸〜三の丸〜二の丸〜遊撃丸〜水手曲輪〜山里丸を見て、改めて三の丸から本丸・天守台、そして、再び三の丸経由弾正丸〜搦手門のルートで回った。その後、陣跡のひとつ、前田利家陣跡を帰途訪ねた…
大手口から、石垣を右に見て東出丸へ向かう…
大手門跡…  大手口の説明…
 
大手門跡の石垣に上る…
 
 石垣上から門跡を見下ろす… 水手口にあった案内板より抜粋の、下記の推定復元図を参照ください。大手門から東出丸から三の丸のイメージが湧くと思います。 
     
 東出丸入口に通じる坂道…
 
東出丸入口手前左側の石垣… 入り口右側の石垣…  東出丸内部に入ったところ…
 
本東出丸全体を見る…遠くに入口の門跡が
 
三の丸に入る…右の写真が説明板  三の丸井戸跡…
       
 三の丸南東隅櫓台… 三の丸石垣… 
     
 馬場経由二の丸方向に向かう…  馬場から本丸の石垣を見る…
     
馬場の説明…二の丸から三の丸に通じる重要な通路
 
 馬場櫓台…馬場の通路途中に設けられている。右に説明板が。   馬場通路を二の丸方向へ…
 馬場から南側を見下ろす…  本丸南西隅石垣を見る… 左が二の丸、右が本丸…
 二の丸長屋建物跡の説明板… 西側石垣の手前に、長屋建物跡3棟が発見された。掘立柱の簡素な建物であることから、築城時の仮説的な建物であった可能性が指摘されている。
     
 調査の結果、延長110mの西側石垣に「合坂」と呼ばれる相対する石段を3か所で確認した。
 
 右側が遊撃丸、その右に本丸が…  合阪(石垣を上り下りするための階段)のひとつ…
      
 遊撃丸全景…  遊撃丸を本丸から見下ろす…明国の講和使節(遊撃将軍)が滞在した曲輪と言われている。
     
 遊撃丸周囲の石垣の階段のひとつ…
 
 水手口にあった案内板の「遊撃丸」説明部分を抜粋・引用…  水手口方向への通路…この辺から左手に入ると、「船手口」
     
 水手口手前の通路…
 
 水手口出てすぐ左…水手曲輪の一部?  「特別史跡 名護屋城跡」の標示柱 水手口…この右にバス停があった。 
     
 「名護屋城址」の石碑  三の丸入口のそばの石垣郡…一部改修工事中であった。 
     
 三の丸入口にあった説明版…ここの左側が「山里丸」
 
 三の丸から本丸への階段
     
 
 本丸新石垣櫓台の説明板…本丸の拡張に当たって新たに造られた櫓の跡が発見された。現在は当時の玉石を保護するために埋め戻し整備されている。 本丸全景…城址碑の石柱が見える。
      
 
 本丸から北東方向を見る…下に見える池は鯱鉾池か? 本丸…右手に発掘調査中の場所とか城址碑がある。 礎石群…破却の際に盛り土で埋められていたもの。多聞櫓と南西隅櫓の礎石と判明。
     
 玉石敷きの復元。  発掘調査・整備事業が推進中…  加部島とそれに通じる呼子橋が見える。北の方向に当たる。
   
   天守台跡… 天守台跡にあった「名護屋城天守臺址」の碑
 
本丸から、搦手口方向へ…  弾正曲輪にある搦手門跡…  大手口・観光案内所方向へ戻る…搦手口が弾正丸がある(朝の檀上長政が居住したことからこの名前が)
     
 陣跡 名護屋城には118ヶ所の陣跡が確認されている。その内65ヶ所に遺構が残っているとのこと。しかし、特別史跡に指定された陣跡は、増田長盛陣跡、北条氏盛陣跡、前田利家陣跡など23ヶ所とのこと。…名護屋城博物館からもっとも近い、前田利家陣跡を訪ねた。
名護屋城博物館の隣の、道の駅 「桃山天下市」の裏に陣屋があるがその横の道に案内標識(左の写真)、道の駅のすぐ隣接の道路を経て陣跡へ… 少し歩くと石垣が見えてくる…
     
 前田利家陣跡入口・石段…
     
「前田利家」との標示柱…
 
階段入口の写真(上から)   道の駅方向を見る… 前田利家陣跡の説明板…
     
山に通じる小道が…確か、小西行長の陣跡もあったはずだが見つけられず 陣跡から入口方面を見る…
     
アクセスJR九州唐津駅から、昭和バス唐津大手口発「名護屋城博物館方面行」で「名護屋城博物館入口」停留所下車徒歩5分で「名護屋城博物館」へ!
 ※「名護屋城ー秀吉が朝鮮出兵基地として、築かせた大阪城に次ぐ広壮な城」」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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