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常陸・鹿島城 茨城県鹿嶋市城山 2020.1.10 訪問お知らせ


~ 築城主:鹿島政幹(?) 築城年:陽和元年(1181)? 主な城主:鹿島氏? 廃城年:天正19年(1591年) 主な遺構:郭、土塁、堀 別名 吉岡城 現状 鹿島城山公園 ~
 鎌倉時代初期約800年前の昔から、室町時代の天正19年(1591年)に佐竹氏によって落城するまでの約400年間、この城は鹿島氏(常陸大掾(だいじょう)氏族)の居城であった。永正の終わりの頃(1520年前後)義幹が大改造をおこない、それが高天原合戦(内紛)につながったと鹿島治乱記はいう。現在本丸跡が城山とされ、二の丸他は県立鹿島高等学校、新町の区域などになっている。昭和59年の発掘調査によって、治乱記でいう萱葺きの痕跡や、地鎮等の祭祀的遺物、墨書き土器等も出土した。城主後裔の鹿島家の協力を得て昭和63年より城山公園として開園。毎年整備を進めて四季を楽しめる場となった。特に桜やつつじの頃は、市民の散策する姿が絶えない。(鹿嶋市教育委員会が現地に設置の説明板「史跡 鹿島城(別称 吉岡城)城」より)
東京駅からJR関東バスで鹿島神宮まで行き、鹿島神宮に参拝し、そこから徒歩約10分の鹿島城址(鹿島城山公園内)に行った…バス停で最も近いのは鹿島神宮駅だろう(下の地図参照)  城山公園入口の表示…
 
入ってすぐ、目の前にでっかい堀跡が…深さ8-10m、幅も10数mはあろう。堀底は若干湿地状態になっており降りなかった。
 旧土橋のような通路を通る…左右に堀跡が見える。  鹿島城概念図…今回も余湖くんのHPより拝借しました。 
     
下の案内板 
 
本丸エリアに入ってきて、虎口的な場所から入城して、振り返り撮影した…  左の場所に来る手前の場所…でっかい水堀跡を見下ろす。
史跡 鹿島城址 の説明板…冒頭の説明に引用。
 
本丸全体を見渡す…かなり広い 左本丸西端にある「城址記念碑」とその説明板…
  
「鹿島城址記念碑」(現代文訳)…鹿嶋市観光協会と鹿嶋商工会が明治26年に設置。
 
 本丸より利根川方向を見る…  鹿島城址の案内板…英語、韓国語、中国語でも説明されている
    
 本丸周囲の土塁の残存…高さは1m位か。土塁上はウォーキングコースになっている。
 
 本丸内で南北に区画するような浅い堀跡?…公園造成の際に作られたものか?  本丸の中央部には、東屋が作られている…公園施設として後世に作られてものだろう。 
    
 東屋の近くで、浅堀跡かと思うような場所があったが、これも後世のものだろう…
 
本丸西側の削平地…郭ではなく、帯郭的なところか? こちらは本丸北側の場所で、矢張り、帯郭か?
     
 左の写真のすぐ隣の部分…
 
上の写真の帯郭的な場所から、最初に入ってきた虎口的な方向へ戻る…右の写真に続く。  再び虎口と思われる場所に戻ってきた。ここから場外に出ずに、西方の腰郭的なところに行く…
     
 右の写真の部分から、本丸に戻り、駐車場となっているところに来た…
 
そこから、南側の土手方向に行き、そこから下に降りて(右の写真)西側へ行く…  ここにも水堀跡…
     
水堀跡を経て、眼下に鹿嶋市街が見える。手前の方にはJR鹿島線の線路が見える…  一番下の段まで下りてきて、振り返って撮影…この辺も公園の一角としてきれいに整備されている。
     
道路に出る前には、「鹿島ゆうウォークコース」の入り口看板が…
 
交通アクセス:JR鹿島線「鹿島神宮」駅から徒歩約10分
※ You Tubeに「常陸・鹿島城ー茨城県鹿嶋市 ここをリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください…

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