本文へスキップ

よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

弘前城 青森県弘前市 1st 2013.4.28  2nd 2013.10.24 訪問お知らせ

 〜 築城者 津軽為信、信牧 築城年 1611年 主な城主 津軽氏 廃城年 1871年 遺構 現存天守、櫓、門石垣、土塁、堀 指定文化財 国の重要文化財(天守、辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓、三の丸南門、二の丸東門、北の郭亀甲門)、国の史跡 再建造物 二の丸東門与力番所 日本100名城(4番)指定 〜
1590年南部氏に臣従していた大浦為信は小田原征伐の際に秀吉より4万5千石の所領安堵の朱印状を受ける。1600年為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立した。1603年、為信は築城開始。1604年為信は京都で客死、築城は中断。1609年2代信牧、築城再開。1671年鷹岡城がほぼ完成。1627年落雷により5層5階の天守を焼失。以降、200年近く天守の無い時代が続いた。1810年、9代藩主津軽寧親、3層櫓を新築することを幕府に願い出て本丸に現在みられる3層3階の御三階櫓(天守)が建てられた。(資料 ウィキペディアより抜粋・編集)
弘前公園全体の案内図(現地に設置の案内図・パンフより) 下乗橋からの天守
     
天守のすぐ前から撮影
 
 天守の横…このすぐ隣で
発掘調査中であった
 
 本丸内、天守の西側に、御金蔵跡 その対面に、御日記蔵跡   そして、本丸未申櫓跡(旧天守)
     
本丸部分の拡大図 天守(資料館)と旧天守(未申櫓跡)、また、
御金蔵跡、御日記藏跡の位置もこの図から把握してください!
旧天守台跡から下を見る 
    
 同じく下部、南側を見る
 
 旧天守台跡から蓮池を臨む  天守台跡から西側を見るが
岩木山は手前の木が邪魔で見えず
天守台跡の南西部角部分
     
 本丸戌亥櫓跡 本丸戌亥櫓跡の説明版  本丸広場から岩木山を見る 
     
籾蔵跡  籾蔵跡の説明版  子の櫓跡 
     
子の櫓跡の説明版   御宝蔵跡の土塁 二の丸丑寅櫓 
     
北の郭周辺の拡大図  二の丸丑寅櫓の説明版 
      
二の丸丑寅櫓…内部に入れず… 
 
二の丸丑寅櫓から東内門方向へ  与力番所(後ろ)とその説明版  辰巳櫓
     
 東内門そばの土塁  東内門 中濠を見下ろす 
     
 東内門外橋(石橋) その説明版  東門への途中の道 
     
 東 門 
     
 外濠の土塁を見る 下の地図の現在地のところが東門 
   
 北門
 
アクセス:
・JR弘前駅前から土手町循環バス(10分間隔で運行)乗車15分、市役所前下車徒歩約3分
・弘前駅前から徒歩約20分(青森駅から普通列車で約43分)
 
※ You Tubeに「弘前城 現存12天守、日本100名城」を投稿しました!こちらからYou Tubeにジャンプしてください!

ギャラリー