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信濃・平賀城 長野県佐久市平賀 2019.9.19 訪問お知らせ

  ~ 築城主:(伝)平賀義信 築城年:(伝)元暦元年(1184) 主な城主:平賀氏 廃城年:文安3年(1446) 主な遺構:郭、石積 長野県指定史跡 ~
この城跡は、佐久郡南部に勢力をふるった平賀氏が代々にわたって要害とした山城である。構築の年代は明らかではないが、この城跡は本城・城平・搦手曲輪等から成り立っている。本城は天然の険阻な山頂にあって、本郭・二の郭・三の郭に分かれ、本郭は最高所にある。山腹全体に数十に及ぶ段曲輪を互い違いに構築し、厳重な防備が施されているほか、搦手にも搦手曲輪があって特異な構築を持った山城である。(長野県教育委員会・佐久市教育委員会が昭和51年3月31日に設置の案内板より)
JR小海線「中込」駅…ここからタクシー約10分で城跡入口近くの正安寺墓地駐車場へ  中込駅前にあった案内図、佐久市内観光案内図~緑と清流の里まほろば佐久~より…中込駅と平賀城址の位置関係を把握しておいてください。
     
 正安寺墓地駐車場から少し戻ったところで城跡への入り口(搦手口へ)を見つけた。案内板も何もなく当初違った通路に入り込んでしまった…
 
今回も、余語くんのホームページより鳥観図を拝借しました。この図を見ながら掲示した写真を見ていただければわかりやすいと思います。右上の正安寺墓地あたりから搦手口曲輪を目指した。山頂の本郭を経て西腰曲輪群を見ながら麓の住宅地へ降りた。そこから大手登城口を探した…
 
登城口からぐるりと郭を回って進んでいくと、ところどころに石積みの残存が見られた。右上の写真は、郭の周囲の一部で、その下の写真部分から郭の上部に上がっていく…
 ここから右方向に曲がって山頂方向を目指す…途中一切案内標示はなかった
 
山頂(尾根筋)を目指す途中の風景…そこかしこに石積が見られる。 
     
 段曲輪…ここにも石積みが…
 
 左の写真は、右の削平地に至る通路から見えた石積部分…右の写真は、最初の鳥観図の4のあたりか? 
     
 上の写真の続き部分…山頂の主郭部分を目指したが、途中に幾重にも腰郭的な場所が。
 
 右の写真の「搦手曲輪跡」の標示柱を経て、一段上の主郭部分へ行く。この辺でも石積が見られた… 
     
 崖上の台地から下を見ると、このような巨石が見られる…
 
鳥観図の、1の部分の手前、この先に主郭が…  本丸跡の標示柱…
     
 本丸跡の標示柱があった郭(鳥観図の1)の西側にあった東屋…ここの造はしっかりしている。 本丸の北側部分を見下ろす…右端に「搦手曲輪跡」の標示が見える。
     
 鳥観図の3の部分にあった、佐久市教育委員会が建立の「平賀氏城跡」の標示柱…
 
鳥観図の3の部分へ降りていく…石積の先に先ほどの東屋が見える。 鳥観図の3の部分…二の丸跡の標示柱
    
 二の丸の一角(北側)にあった小屋…壊れているが旧トイレのようだ。使用不可!
 
三の丸の入り口部分に城址碑と案内板…ここは虎口部分にあたるか。  二の丸の東端にあった石列…旧建物跡か、或いは、もっと後世の何らかの建物跡か不明。
     
「三の丸」の標示柱…
三の丸の西端から一旦下に降りる階段…ここを右に折れて降りていく。下の写真に続く。 大手虎口だろうか…ここから左上の写真につながる部分は枡形状になっている。礎石的な石があったが、ここに門があったかどうかは定かではない。
     
 上の写真に続いて、鳥観図の西腰郭群につながるつづら折れの通路になる…
 
 上の写真の続きで、つづら折れの通路を経て、鳥観図のA、B方向を目指した。A,B部分は確認できなかったが、南腰郭群らしきところを通り、麓の住宅地の舗装道路に出た…この辺でも石積が見られた。
     
 麓に降りる前で見つけた纏まった石積…   住宅地につながるアスファルト道路にでたが、ある筈の「平賀氏城跡(大手入口)」の標示柱を探したが見つからず親切な地元の方に聞いて、この写真の林道の先にあると教えてもらった…
     
 何とか、平賀氏城跡(大手入口)の標示柱を見つけた…正確にはさび付いて文字も読めない状態だった。
 
           
アクセス:JR小海線「中込」駅からタクシーで約10分
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