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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

福山城 広島県福山市丸之内  2014.6.24 訪問お知らせ

 〜 築城者 水野勝成 築城年 1622年 主な城主 水野氏、松平氏、阿部氏  廃城年 1874年 遺構 櫓、門、鐘楼、石垣 指定文化財 国の史跡 国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門) 日本100名城 〜
この城は、元和5年(1619)福島正則の改易により備後10万石の領主として入封した水野勝成が、3年の歳月を費やし構築した近世の城郭である。低い丘陵を利用した平山城で、東、南、西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、小丸山、天神山を天然の防塁とした。現在内外の堀は埋められ、三之丸と共に市街化しているが、二之丸、本丸は築城当時の姿をよく伝えている。城地には、そそりたつ石垣をはじめ重要文化財の鐘櫓などがあり、昔日の姿をとどめている。なお、天守閣、月見櫓、湯殿は昭和41年(1966)に、それぞれ外環復元したものである。(現地に設置の案内「史跡 福山城跡」より)
 福山駅北口の前の説明版より抜粋。現在地のところから入城した。現存する建物は伏見櫓(伏見城から移築された)と筋鉄御門(すじがねごもん)…共に国の重要文化財。天守は空襲で焼失、現在の建物は昭和41年に月見櫓、御湯殿と共に復興された。各写真の説明は、入城時入手のパンフ及び現地案内板より引用させていただきました。
 
福山駅北口を出たところ…目の前に立派な石垣が!  上を見上げると、月見櫓
(外観復元)の上部が見える
  東側から石垣を見る
  福山城の碑と説明  やはり、公園入口にあった説明版より大体の配置図(縄張り)
   
  高い石垣だが、区画整理、ビル建設等で、多くの石垣が破壊されており、このへんも模擬復興だろう
 
 伏見櫓を見る 右に山陽本線と新幹線が…JR福山駅が城域を南北に分断した
 伏見櫓から筋鉄御門
(すじがねごもん)方向へ
 伏見櫓を見上げる…3層入母屋造り 筋鉄御門は、桁行10間、梁間3間、入母屋造り本瓦葺脇戸付き櫓門。伏見櫓同様に伏見城から移築された。
筋鉄御門を経て本丸に入って伏見櫓を改めて見上げる  前方を見ると、天守閣(福山城博物館)が…  伏見御殿跡?の標示柱
 筋鉄御門を内側から見る  鐘櫓(市重要文化財)はじめは鐘を吊り、太鼓を懸け、時の鐘と半時(1時間)の太鼓を打っていたと言われている。
  
 筋鉄御門を別の角度から
 
左が筋鉄御門、右が伏見櫓…  鐘櫓を別の角度から… 伏見櫓…
櫓台? 櫓台より下を見下ろす…  黄金水…本丸に現存する唯一の井戸
渇水時にも水をたたえた素晴らしい井戸であったとか。
 天守閣(博物館)本丸の北隅に位置している。五重六階地下一階。別に二重三階の付櫓を持つ
北西方向に行くと棗御門へ  棗御門跡の標示柱  棗御門が見えてきた
 棗御門跡を外から見る…枡形虎口形式か? 天守閣を裏(北側)から見る
 
天守閣の北側
 
 天守閣の礎石  天守閣の礎石越しに天守閣を見る  水野勝成の像…備後10万石に封ぜられた際に、この町を開き、福山とした 
  天守閣見上げる…左の写真には付櫓が見える 東側入口に通じる階段
棗揚楯御門跡(?)…判読困難  二重櫓跡の標示
 二重櫓の台か?  東側入口への通路? 冠木門が見える
     
 鏡櫓(文書館)東南隅の月見櫓から北へ伸びる塀つながれていた。昭和49年4月に福山城博物館の文書館として開館した。  月見櫓遠景  月見櫓の説明
     
 御湯殿…伏見城内にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に付随した建築で、国宝に指定されていた。  月見櫓…伏見城内にあったものを移築。明治初年に取り壊されたが昭和41年に天守閣と共に外観復元された。  
     
 内部は物見の段と風呂の間に分かれていた(昭和20年の戦災により焼失したものを昭和41年復元)
 
 天守閣入口  天守閣望楼部分より撮影 福山駅が見える
     
 南方方向か・・・ 天守北側部分  天守閣の礎石が見える
     
アクセス:JR西日本山陽本線・新幹線福山駅の北口すぐ
※「福山城ー広島県福山市」をYouTubeにアップしました。YouTubeのページにジャンプしてご覧ください
                  

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