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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

深沢城 静岡県御殿場市深沢 2017.5.12 訪問知らせ


 〜 築城主:不明(今川氏親?) 築城年:永正年間(1504〜21)?  主な城主:駒井昌直、北条綱成、三宅康貞 廃城年:1590年 主な遺構:土塁、郭、堀、馬出 静岡県指定史跡
この城は、今から約460年ほど前の戦国時代に、駿河の今川氏が築城したと伝えられている。その後、小田原の北条氏が占領して、黄八幡(きはちまん)で有名な北条綱成がが守備していたが、元亀元年(1570)11月、甲斐の武田信玄が包囲し、金山衆などをつかって攻め立てた。翌元亀2年1月3日、信玄は深沢城に有名な矢文を送って開城をせまり、ついに綱成は藤沢の玉縄城にしりぞき、その後は武田氏が支配した。北条氏は奪回を試みたが失敗し、深沢城は武田氏の所有となり武田氏重臣の一人駒井右京之進は城を焼いて退去した。やがて天正12年(1584)、徳川家康が織田信雄に加勢して、小牧山で豊臣秀吉と戦った際に、北条の押さえとして三宅惣左をおいたが、それを最後として廃城となった。城跡は、抜川(ぬけがわ)と馬伏川(ばふせがわ)に挟まれた自然の台地を利用した二鶴(にかく)様式で築かれ、また、武田式城郭といわれる三日月掘や土塁などが残り戦国時代の城跡として全国でも重要な存在である。昭和35年2月23日、静岡県指定史跡に指定された。(御殿場市教育委員会が平成2年9月に、現地、三の丸入口に設置の案内板より)
 JR御殿場線 「御殿場」駅… (案内板より拝借)現在位置の場所までタクシーで来て、そこから(左右どちらからも入れるが)右回りで、八幡宮入口(三の丸)→本丸→二の丸→下馬溜り→詩碑 の順に回った。ルートを朱色で記した(※ 順序としては右側から入り左回りの方が効率がよさそうと後で感じた) 
     
タクシーで約10数分でこの場所に…深沢城址碑(この隣に案内板−冒頭の説明と縄張り図を拝借しました)
 
 上の縄張図の @の場所…右の写真の舗装道路に入ってすぐ、左側に「三日月堀」の標示。右下の写真で三日月の形状が分かりますね 案内板のところから左側の道路に入り、少し進むと左の写真の標示柱と堀が見える…
     
 
 三日月堀のところからすぐ北のところに「八幡宮入口」の標示柱があり(図面のAの場所)。上がってみると、そこは「三の丸」茶畑と雑草地(真ん中の写真)、そしてその三の丸の北西隅に「八幡宮」が(右端の写真)…
     
 八幡宮から戻り最初の舗装道路を再度北に歩く…馬伏川に架かる橋の手前から右に入り、川の流れに沿って本丸へ上がる径を探ったが見つからず。後ほど、本丸上に上がりこの蛇行する川を見下ろす。縄張り図のBの場所に当たる。
     
 この写真の奥に見える橋の手前を右に折れて、上の写真の場所から、更に右の写真のところへ出た。上の郭に上がる場所がなく元の舗装道路に戻る…
 
 左上の写真の橋に戻り、舗装道路を北上して本丸方向へ入る道路との分岐(C)に出た(右上の写真)。そこから左下の写真の馬伏川を跨ぐ通路に出た。そして左下の写真のところ(図面のD…橋上)から、馬伏川を見下ろす。この一寸下に抜川との合流地点に出る…つまり城域は西・北・東側は自然の川が水堀となっている。
     
 左の写真の橋が見える?
 
 橋を渡り、林間の道路を本丸方向に歩く…比較的歩きやすい 本丸に上がって全体を見渡す…この辺は水田にはなっていない
     
 本丸に来ると、一面に広がる田植えが終わったばかりと思われる水田がきれいだった。この城は、他の郭も水田・畑・茶畑になって利用されている。言い換えれば、民間所有の土地であるところを教育委員会などと連携している?…「私有地であり立入禁止」となると折角の遺構が見られないので、見学する方も所有者に感謝しつつ十分配慮して訪ねるべきか。
     
 ここも本丸の一画…
 
 本丸の西側の端、最初に見た崖下の蛇行している馬伏川が眼下に…ここに「城櫓」との標示柱があった。確かにこの急峻は上がりにくいだろう。図面のEのところにあたる。
     
 城櫓の標示柱を別角度から見る…
 
 本丸の最南端方向へ行く。奥に見えるのは二の丸との間の土塁が残るところ… 二の丸から本丸へ入ると、この標示柱が見える…
     
 土塁の残存と思われる…
 
 二の丸から本丸への通路(図面のF部分、本丸側から撮影)のところの馬出(左側)が見えるところ。先に見えているところが二の丸の中心部…左下の写真に続く これも土塁の残存だろう…
     
上の写真の続き部分で、この先が空堀…
 
 左上の二の丸中心部から、その下の写真の通路を降りてゆくと、右の写真の「二の丸」の標示柱…図面のG
   
三の丸方向への通路…
 二の丸への通路の標示柱…この写真と、右下の写真にて三日月彫り的な堀が見える…  二の丸への通路の右側の水田…
 
 この写真の続きが左の写真…
 下の写真のところから右の写真の「二鶴様式堀跡」、の傍を通り(図面のH)食糧庫跡方向へ進む…
     
二鶴様式の堀跡の近くから堀底を見る…ところで「二鶴様式の堀」って?
 
二の丸の周囲を巡る通路の途中に(図面Jの位置)食糧庫跡の標示柱が… 左の場所に出る少し前の地点で(I)西側を見る…最初に見た馬伏川の蛇行部分と奥に橋が見える
  
 この先に、左の写真の食糧庫跡が…
 
三の丸方向へ進む… 三の丸から二の丸へ向かう途中の「下馬溜」の標示柱…これは三の丸側から撮影
     
 下馬溜りの手前(二の丸から見て)の位置で左側を見る…下馬溜りの端の堀・溝?が見える
 
 詩碑入口(図面のK)…奥に石碑が見える 詩碑のところの馬出の一部か…
     
 左の写真の奥に見える「詩碑」よく読めない…
 
 図面Kの位置…詩碑の横の馬出 
     
三の丸の最終部分(南端)…右に民家が見えるがその先に最初に見た石碑・案内板が道路に面してある道路が。
 
 最初に見た案内板の後ろに位置する「三日月堀」(Lの位置)…右2枚の写真で三日月の形状が分かる?
   
この大雲院には、居館跡との説もあり土塁が残ると言われている。しかし、どこにも具体的説明・案内はなく推定で、この本堂横の場所か? 大雲院:「駿河記」によれば、深沢八郎右衛門の開基であり、深沢氏の居館跡ではとも推測されている。深沢城大手門がここに移築されたと伝えられているが、関東大震災時に倒壊して昭和25年に再建されたとのこと…。
山門と道路を挟んで大きな駐車場があり、その周囲にも土塁の残存らしいものが見られた…実際はよくわからない
 アクセス:
JR御殿場線「御殿場」駅から、徒歩なら約1時間かかると思われる。バス便は一応あるが、便数が極めて少なく基本的には利用できない。タクシーだと駅前から約10〜15分で城址入口へ(料金は訪問時 約1,400円位だったのでタクシーをお勧めする…御殿場駅前に観光協会の案内所があり地図をもらうと共にいろいろ情報を得た。親切に対応して頂き有り難かった。)
※ You Tubeに「深沢城 境目の城として重要な城」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! 

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