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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  藤橋城 東京都青梅市藤橋 2014.9.19 訪問
 〜 築城者 不明 築城年 不明(16世紀半ばには平山氏が居城とある) 主な城主 平山氏 廃城年 ? 遺構 土塁、郭 〜
現存する遺構は、東西70m×南北60mの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。「武蔵名勝図絵」(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉という人の住居の地なり。この平山氏は北城氏照に仕えたる人なり。平山右衛門大夫・同伊賀守などは檜原村に城跡あり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。ここは土居を廻らし、城跡もありて、その内の広さ東西二十間余、南北凡そ五十間程、入口の城戸門跡と覚しきところは南向きにて、すべて平地なり。西より北へ廻らして今井村の水田に臨み、霞川の流れを帯びたり。この辺は崖にして高さ二丈あまりなり」。(青梅市教育委員会が昭和28年11月3日、市指定史跡に指定に際し現地に設置の案内板より)
 JR青梅線 小作駅…ここから西東京バスで約10分位。駅のロータリーの反対側のバス乗り場(右の写真)から。バス便の数は、精々、1時間に2本位! 「藤橋」バス停…ここから徒歩約10分ぐらいで城址公園へ。
 
 バスを降りて、進行方向に歩いて、突き当りの道を左折…  杣保葛(そまほかずら)神社…先ほど左折して少し歩くと、右手に神社が。調べてみると、「元亀・天正年間(1570-1591)の頃、藤橋城主・平山筑前守重吉が城内鎮護のために祀ったと言われている。幕府より社領10石を受けたという。明治43年には杣保神社と葛神合社し、現在の形となった」とのこと。
     
 地元の人に藤橋城址への道順を聞いたら、「エネオスのところを右に」と親切に教えてくれた。エネオスが見えてきた…  後で分かったのだが、エネオス横道の他にも、右に入って城跡まで行ける道があった。料理屋への矢印が目印… エネオスの右側の道に入る…
     
 細い道を歩いていくと、ちょっと広い車の通る道路に出た…  先の突き当りを左に行き、ちょっとした小山に入る道を見つけた… 結局、城跡らしき場所がなく、山の(北側の)田園地帯に出た。遠くに見える山が藤橋城址だった。地元のご婦人が親切に教えてくれてた。 
     
先ほどの道をひたすら歩いて突き当り…ここで間違いないのだが、ここは立ち入り禁止であったので、右手に回り本来のルートと思われる場所に出た。 立ち入り禁止のロープを見て右の方へ回る…
     
途中で見た土塁の一部…
 
 こちらも道路に出る手前の土塁…  住宅街に接したこの道路から城址に来るべきであった…  城址公園の入り口…ここで初めて藤橋城址の標示が!
 「市指定史跡 藤橋城跡」の案内板…冒頭で引用しました。 入ってすぐの広場…公園としてはよく整備されている。  郭の周囲の土塁…
     
 ここは曲輪の右側(東側)の道路を挟んで反対側にあった土塁らしき場所…空堀があったのか?道路敷設の際に分断されたか?  郭の東北側に面した土塁…
  
 上の写真の部分の周囲を回ってみた…奥に北側の田園地帯が!
 
東南側の土塁…公園化しているのでどこまでが往時の残存か?
石垣は全く後世のもの!
 …これも郭の外周の道路に面した土塁らしきところ。
 左の写真に続く場所…
 
 郭の北側乃至北西側の外周部分…比高4Mほどの台地上に郭が置かれた模様。   
 公園(郭)の中心的な場所…ここに「杣保(そまほ)神社址」の碑がある。
…本ページの最初の方の、「杣保葛神社の説明」をご参照!
アクセスJR青梅線「小作」駅から西東京バスで約10-15分
 

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