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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  豊前・中津城 大分県中津市二ノ丁 2018.12.19 訪問
 〜 築城者 黒田孝高(如水) 築城年 天正16年(1588年)  主な城主 黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 石垣、堀 別名 中津川城、扇城、丸山城 続日本百名城 〜
黒田孝高(如水)が豊臣秀吉の命令により九州を平定し、中津16万石を拝領して天正16年(1588)、中津川河口周防灘に臨むこの城を築きました。城郭面積は23,287坪、地形が北より南方に扇城をなしているので、中津城の別名を扇城と云います。本丸石垣、内濠は当時のままで水門より海水が入って潮の満干で濠の水が増減している水城です。
享保13年(1728)藩主奥平昌成、中津城北門鉄砲場山国川に水位を計る測水票を設置、我国量水票の初めと記録されていまう。
                 (中津城入城時に入手のパンフレット「中津城」より、抜粋、引用させていただきました。)
 JR日豊本線「中津」駅あkら徒歩なら約15分…中津川沿いに築城された。 「普通車専用駐車場」のすぐ横にある場所…ここに黒田時代と細川時代の石垣が見られる。
 右(中津川)方向に行き黒田時代の石垣を見る…左下の写真参照
 黒田・細川両時代の石垣の継ぎ目…向かって左が細川氏、右が黒田氏普請の石垣。  模擬天守と復興櫓を別の角度から見る…奥に見えるのは駐車場で最初はそこから左上の写真部分を見た。
 上の写真の場所から、中津川方向へ行き、改めて模擬天守下の石垣を見る…
中津川を右下に見て、本丸下の石垣に沿ってきた方向へ歩く… 模擬天守のところから階段を上がり、「中津城ビューポイント」との標示のある場所に来た…
     
豊前海を前にして中津川に沿って建てられた交通の要衝の位置にある…
 
 中津川に面した側の石垣…この写真のところから、すぐ下の部分へ。そして右の写真のところに続く。黒田の石垣が此方側にも、随所に多く見られるようだ。 
 天守台の北端部分から、右の写真の中津大神宮下の石垣に続く…
 中津大神宮…模擬天守のすぐ隣の位置 中津城入口が見える…
     
 中津城模擬天守入口…奥平家歴史資料館となっている。入館料金は 400円/大人1名。  天守閣望楼から、中津川〜豊後海を臨む…
  
 模擬天守望楼から復興櫓を見る…
 
 本丸の南側、下の段の中津神社の鳥居・堀方向を見る… 中津川を見下ろす位置…  本丸東側の中津市民プール側を見る…
 扇形に弧を描く石垣の残り部分…この手前は椎木門(右上の写真)から北側に折れてここに来るが、その間が枡形虎口となっていた(右下の写真参照)   椎木門…ここを入ると左御写真のところに出る。枡形虎口となっている。(下の写真説明参照)
  
 「扇形の石垣」説明板…
 
 突き当り部分が扇形石垣。右側に椎木門が…大きな枡形虎口となっていた  中津神社の鳥居越しに、中津城模擬天守を見る… 
     
 右の中津神社の鳥居の前の堀…土橋上から撮影
 
 右の石垣の折れ、横矢掛けの部分を見る…  濠の反対側(南側)から石垣を見る…石垣上に天守閣が見える
     
 旧三の丸辺りか…
 
 旧三ノ丸の一角に「南部小学校」の校門に利用されている、中津藩家老「生田家」の門。中津藩政時代から現代まで風雪に耐え抜いてきた貴重な建造物…下の写真説明参照  再び、中津神社鳥居のところに来た…東側の土塁・堀を見る。 
      
 生田(しょうだ)門と中津市学校の説明板…
 
 右上の写真の「黒後門跡」部分から東側の土塁上に上がる…  扇形石垣のある虎口方向を見る…  次に、大手門跡方向へ向かう…
     
 三の丸の東端に位置する大手門があった場所。説明板には「馬出無しの枡形虎口」とある。詳しくは右下の説明参照…  大手御門から、右に曲げて黒後門に至る通路…左上に模擬天守が少し見える。
     
 大手門の説明板…
 
           
アクセスJR日豊本線「中津」駅から徒歩約15分
 ※ ユーチューブに「中津城 大分県中津市」を投稿しました。ここをクリックしてユーチューブのページにジャンプしてご覧ください!

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