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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

備中高松城 岡山県岡山市北区  2019.5.27 訪問お知らせ

 〜 築城者 石川氏 築城年 不明 主な城主 石川氏、清水氏、花房氏  廃城年 江戸時代初期 遺構 水攻め堰堤の一部 石積みの一部 指定文化財 国の史跡 続日本100名城 〜
高松城とは・・高松城は、備前国に通じる平野の中心しかも松山往来(板倉宿から備中松山城へ至る)沿いの要衝の地にあり、天正10(1582)年中国役の主戦場となった城跡として有名である。城は沼沢地に臨む平城(沼城)で、石垣を築かず土壇だけで築城された「土城」である。城の周囲には、東沼、沼田などの地名に象徴されるように、沼沢が天然の外堀をなしていたのが窺われる。縄張りは、方形(一辺約50m)の土壇(本丸)を中核にして、堀を隔てて同規模の二の丸が南に並び、さらに三の丸と家中屋敷とが、コの字状に背後を囲む単純な形態である。本丸跡は江戸時代初期にも陣屋として活用されていた。(現地案内板「国指定史跡 高松城跡 昭和4年12月17日指定」 より抜粋・引用)
JR吉備線(桃太郎線)備中高松駅…ここから徒歩約10分で城跡へ  途中にでっかい鳥居が…この先に伏見、豊川に並ぶ日本三大稲荷の「最上(さいじょう)稲荷」が   吉備高原自転車道を進む…レンタサイクルを利用した
  「高松城址公園」への案内標示…  JR備中高松駅から高松城跡附水攻築低跡〜高松城址の位置関係を確認…
   
  「水攻め築堤跡高さ表示板」…
 
 「三の丸跡」…城の南口の要所に当たり、川舟を並べて船橋をかけ場外と結ばれていたと伝えられている由。 高松城と、城攻めの豊臣側布陣図…
     
 案内板…昭和4年12月に国史跡に指定された。この高松城の説明文は冒頭説明に引用させていただいた。
 
沼(池)…「高松城水攻め」の幟が  「高松城址公園資料館」…訪問時は月曜であったため休館  二の丸跡…本丸と三の丸の間に位置している。発掘調査がされていないため建物などの詳細は不明とのこと。
 「宗治蓮」のある沼地… 「二の丸跡」全景?…畑地になっている。
     
 「宗治蓮」の説明版…昭和57年に城址公園工事に際し、岡山市が沼を復元した由。
 
 「本丸跡」…  この橋を渡ると本丸域に…
 
清水宗治公首塚…
本丸に入り蓮池(沼)方向を振り返り見る…  秀吉の高松城攻めの概念図…各武将の布陣位置がわかる
城址公園に沿って走る道路に、案内表示板が…備中高松駅まで800mとある。
 右の写真の「史跡 清水宗治公自刃之跡入り口」との標示柱。を入り、直進すると下の写真の「自刃の址」の場所へ… 
     
 「高松山 妙玄寺」…本堂?
 
 妙玄寺本殿横にあった説明版…  「ごうやぶ遺跡」…自刃した宗治公を追って、宗治の家臣たちが互いに刺し違えて殉死したところといわれている。」 
     
「妙玄寺 清水宗治公自刃の地」…でっかい幟が立つ。
 
 右上の「ごうやぶ遺跡」の説明版  「史跡 船橋」(右の写真)とその説明版(左の写真)… 
     
 
アクセス:JR西日本吉備線「備中高松」駅から徒歩10分…
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