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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 足利政氏(まさうじ)館跡 埼玉県久喜市本町   2016.5.2 訪問
 〜 築城者 足利政氏 築城年 永正15年(1518) 主な城主 足利政氏 廃城年 ? 遺構 空堀・土塁 現状 甘棠院(かんとういん) 史跡指定 埼玉県指定史跡 〜
 永安山甘棠院は、臨済宗円覚寺派の寺院である。甘棠院の総門を入ると、中門前面から寺院の西側及び北側に空堀がめぐらされ、北側には土塁も築かれている。ここは、享徳の乱終息(文明14年 1482年)以降、古河公方になった足利政氏の館跡と伝えられている。
 足利政氏の父茂氏(しげうじ)は、文安4年(1447)信濃より帰り、鎌倉公方となったが、関東管領山之内上杉氏と抗争ののち古河(茨城県古河市)に移って古河公方と称し、伊豆の伊豆の堀越公方・山内上杉氏・扇谷上杉氏との勢力争いを続けた(享徳の乱)。足利政氏は、その後、子高基・義明と不和となり、永正9年(1512)に小山(栃木県小山市)に移り、同15年頃、ここ甘棠院に隠居したと伝えられる。境内には「享禄4年7月18日甘棠院殿吉山道長大禅定門」の銘を刻んだ足利政氏の五輪塔がある。…以下省略…(現地に埼玉県教育委員会・久喜市教育委員会・甘棠院が設置の案内板「埼玉県指定史跡 足利政氏館跡及び墓」より)
 JR宇都宮線「久喜」駅より徒歩約20分…
 
甘棠院の総門(左端の写真)。このすぐ左に案内板と「足利政氏公墓同館址」の石碑(真ん中の写真)。訪問時には地元の中学生が沢山来ていて、写生中であった(右端の写真)…
 中門…この手前に空堀が見える(右及び下の写真)  中門に向かって左側の空堀を見る…ズームで撮ったが、この方形館の周囲を囲んでいた空堀の西南角の部分(最後の方でこの堀底から中門前の土橋方向を見る写真を掲載しています。)
     
 右の写真の方向を土橋から見る…
 
 今度は、土橋上から右側(東側)を見る…こちらは、約10数メートルで行き止まりになっている。  中門を正面から見る…  中門から真直ぐ北方向に進んで突き当りの塀・門を斜めから見る…
 足利和氏政公の墓がある墓地は、訪問時は公開されておらず、塀越しに内部を撮影したのが左端の写真…従い、政氏公の墓は見れなかった  墓地手前の広場にあった鐘楼…
堀底に降りて右の写真の方向を振り返り見る(右に墓地の兵が見える)。ここから、最初の中門前の土橋方向へ歩く…   墓地西側の空堀の途切れている部分を見る…ここから右(北)へは立ち入り禁止
  
 左の写真の位置から南方向を見る…
 
 南西角の部分…  左の写真のところを曲がって、最初小、中門前の土橋を見る… 
     
 総門を出て東方向へ行き、中門前の土橋右側の空堀の端部分を見る
 
 今度は、総門より西側に歩き、ぐるりと政氏港館跡の敷地に沿って右回りに行くと、館跡に隣接した甘棠院史跡公園に出た。ここの公園の一部に久喜市が設置の案内板があり、発掘調査で発見された堀跡を芝生で位置を特定してあった…(下の写真参照、説明板は右の写真参照)。 
     
館跡(史跡公園)に隣接して「乳児院」が…
 
史跡公園から東方向へ歩く…右側が館跡  一回りして、改めて総門方向へ歩く…ここの地形がクランク状なのでちょっと気になって.このような場所を他でも数か所見た。 
     
 上の写真の通路の右側をフェンス越しに見る…藪状態であり、立入禁止状態でよくわからなかった
 
アクセス:JR宇都宮線久喜駅から徒歩約20分

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