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鐙摺(あぶずり)城 神奈川県三浦郡葉山堀内 2019.12.4 訪問お知らせ


~ 築城主:不明(三浦義澄?) 築城年:不明(平安末期?) 廃城年:不詳 主な遺構:郭、土塁 葉山町指定史跡 
 高さ25mほどの頂上が平らな丸い小山で、鐙摺(あぶずり)山、軍見山とも呼ばれています。『源平盛衰記』によれば、石橋山(小田原市)で旗揚げした源頼朝に呼応した三浦党は、鐙摺城北側の小浜の入江から援軍として出陣します。石橋山の合戦で頼朝軍が敗走したことを酒匂川の畔で聞いた三浦党は引き返しますが、小坪あたりで畠山重忠軍と遭遇、対峙します。その後、お互いの誤解から合戦になりますが、このとき鐙摺城にいた三浦党の総帥三浦義澄は、この山に旗を立てて気勢をあげたことから、旗立山と呼ばれるようになったといわれています。また、『新編相模国風土記稿』によれば、伊豆蛭ヶ小島に配流されていた頼朝が、治承元年(1177)に密かに三浦を訪れ鐙摺山に登った際、馬の鐙が擦れたことからこの名が付いたとされます。(葉山町教育委員会が、鐙摺城入り口に設置の案内板「史跡 旗立山」より。)
鐙摺城跡(旗立山)近くにあった案内図…「鐙摺」バス停から逗子湾~葉山マリーナ方向へ歩いて、アズぶり城への入り口を探した。  JR逗子駅…ここから京急バスで鐙摺バス停へ行った。京急「新逗子駅」も最寄り駅。
 
左の案内図のあった場所より逗子湾を臨む…右手に見えるのは江ノ島。
「葉山港」、「鐙摺葉山港」などへの道標… 鐙摺バス停を下りて、上の案内図のあるところに来て、鐙摺城のある旗立山を見る…
  
「日影茶屋」の玄関…『新編相模国風土記稿』にも「葉山茶屋」としてその存在が記されている由。由緒あるお茶屋さんらしい。
 
 右上の写真のところから、海の方へ行かず、左側にバス通りを通って進むと、「史跡 旗立山」の案内板(説明文は冒頭の紹介に引用)があった。そこが登城口となっていた。下の写真の階段を上がって鐙摺城跡に行く…冬場なのに草が生い茂りゆく手を阻むような場所もあった。 
    
 ここの通路は堅い土であり、雨上がり状態で、やや滑りやすい道だった…
 
 ここも登山道だが、結構草が伸びていて歩きにくい…  山頂の広場から、葉山マリーナ方向を見る…右の方に江ノ島が 
    
 この上が、主郭的な、山頂の削平された場所…
 
「伊東祐親入道供養塚」…供養塚は石を重ねた簡素なものだが雰囲気はありますね。しかし、冬なのに草が大きく伸びており近づかないと存在も分からないぐらいだった。  主郭の北端部分から逗子湾を見る…
     
 主郭の一角にあった案内板「伊東祐親入道供養塚」…左の写真がその供養塚。
 
主郭の平場から、海の方向(葉山マリーナ)方向を見る… 田左の地点よりやや右、北側に移動して、海の方向を見る…  主郭広場の東側を見る…すぐ上の写真の説明板が見える。そこの少し左に供養塚があるがよく見えない。この方向に土塁が残っているはずだがよくわからなかった。
     
登ってきた通路を下りて、バス道路の反対側を見ると「日影茶屋」の菓子部門?)があった。「ひあげ大福」、「丸二最中」との標示があった…  須賀神社の境内から、北方向、鐙摺城(旗立山)を見上げる… 
     
日影茶屋の場所からバス通りを少し南下して「須賀神社」に来た…
 
右下の道路に出て葉山マリーナを見る… 「須賀神社」…鳥居越しに本殿を見る。
     
須賀神社からマリーナ側に降りてきた…海抜4.6mとのこと
 
 マリーナの前の道路に面して「慶応大学の艇庫・合宿所」らしき場所があった。 マリーナ側から、鐙摺城のある山並みを振り返り見る…
     
 上の写真の並びにあった食堂「あぶずり食堂」…ここで昼食を摂った。
 
バスを降りてから、最初に登城口を探し手ここまで来たが、よくわからなかった。方向としてはこの建物の間の方向ではあるが…   再び、鐙摺城方向を見る…
     
 左の写真の横を通り鐙摺城のある旗立山を見上げた…
 
交通アクセス:JR「逗子」駅から、京急バスで約10分、「鐙摺」バス停下車すぐ…
※ You Tubeに「鐙摺城ー神奈川県葉山町」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください…

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